タリバーン幹部からマララへの手紙、全訳 : TokyoScenery
完全に一理あるよな、これ。
だからってタリバーンの行動が認められるはずはないし、むしろ言い訳っぽく読み取れる部分もある。
この人の言うとおりマララ・ユスフザイさんのノーベル平和賞受賞もプロパガンダ的に上手く利用されている部分が強いのかもしれない。
そもそも平和賞は政治的なものだと言う人も多いし、今回は特に構図とストーリーがわかりやすいもんな。
俺もちょっと危ないところだったというか、報道されている部分にしか目が向いていなかったので、改めて怖いなぁと思う。
しかし、マララさんの主張が素晴らしいことに変わりはない。
そこは大事なところ。
話を戻して、「自分達の意見が正しい」と主張するのが悪いことではないけれどもその論拠として「自分達に都合の良い事実」と「相手にとって都合の悪い事実」という偏ったものばかり並べて世論を操作(しようと)するの、これはもうどうにもならんのかね。
自分のマイナスになる発言や行動には目を瞑り、相手のそれをいくつも挙げて「ほら、あいつ悪い奴でしょ?ね、むかつくでしょ?」って相手のイメージを低下させる。
それによって相対的に自分達の位置を高めて味方を増やそうとしたり、いかにもな正当性をかもし出そうとしたり、また自分の失敗から目を逸らさせたり。
学校のクラスでも、職場でも、恣意的にこういうやり方をしてる人けっこう多いでしょ。
捻じ曲げて解釈するならば、民主主義の弊害ともいえる。
まぁ日常の話は置いておいて、こういうのは実際に報道されている内容のどこまでが事実でどこからが隠されているのかわからない以上、ある程度は自分で調べて見極めるしかない。
ネットの情報は真偽をよく見極めて活用しましょうなんて言われるが、NHKのニュースだって新聞だって変わらないと俺は思う。
世界の注目があるから香港のデモを共産党が力で潰したりできなくなっているわけだし、報道の力は強いんだよな。
力が強いゆえに一歩踏み間違えた場合の代償も大きいから「ひたすらに反マスコミ」という人も多くなるんだろうが、マスコミの悪いところばかり挙げるのもまたマスコミと同じやり口。
話の持っていき方が上手い奴に流されないようにするのは非常に難しいし、逆に報道を深読みしすぎないのもとても難しい。
ということで、今回の結論としては「ハートを磨くっきゃない、綺麗に磨くっきゃない」ということになりました。お疲れ様です。