母父トニービン

明るいところで読んでね

佐藤哲三元騎手

 

はてなキーワードってやつで「佐藤哲三」で検索したら、彼の引退に関して書いているブログが思っていたよりも少なくて驚いた。

いやまぁそんなものか、一般的な知名度はほとんど無いだろうし。

 

一瞬の落馬事故が一生を変える。競馬ファンはその事実を知らなければならない。 - ウェブ1丁目図書館

佐藤さんは、タップダンスシチ―、エスポワールシチーアーネストリーでG1レースに勝利しています。

引退会見の時、関係者が一丸となってアーネストリーで挑んだ2011年の高塚記念で勝利したことが、最も印象に残っていると語っていました。

また、馬券を買っているお客さんは3着までに自分が買っている馬が入れば的中するのだから、1着だけがすべてだとは思わずにレースに臨んでいたとも語っていました。

 

ファンを思う騎手がいるのですから、ファンも騎手のことをもっと深く知る必要があります。

 

このブログを読んで改めて思うところもあって、またあまり佐藤哲三の記事が少ないのもちょっと寂しいので、今更ながらちょっと書いてみる。

 

2012年11月24日、京都競馬場でレース中に落馬し重傷を負った佐藤哲三騎手。

復帰を目指して何度も手術を受けリハビリを続けてきたが、ついに現役復帰を諦め今年の10月12日に引退した。

 

佐藤哲三騎手が引退を決断した、と報じられたのは9月16日だった。

 

そのニュースが流れてくるのを午前中にTwitterで見て、そこからまる一日心ここにあらずといった感じでフワフワしてた。

引退会見の記事の見出しに

 

キズナを可愛いと思う気持ちが自然と出た。もう、無理だと思った」

 

と書いてあって、この言葉で「終わり」ということを強く実感した。

とても寂しい気持ちになった。

 

本気で競馬に取り組んでいるのが言葉の端々から伝わってきた人だった。

以前からインタビュー等で受け答えをする内容や表情なんかを見ていて、この人、根はすごく優しい人なんだろうと感じていた。

しかし仕事に関しては「意識して」その甘さを絶って、プライドを強く持ってやっている人に違いない、と思っていたな。

そうやってずっと律していたものが時間やその他の要因によって弱くなってしまったというか、そういうことだったんだろうな。

 

それを認識して、受け入れて消化してゆく過程ってきっとめちゃくちゃ大変だと思う。

 

よく「勝負師・佐藤哲三」って表現をされるんだけど、それは俺の中では全然しっくりこない。

あまり「勝負勘が鋭い」「一か八か」というイメージがないんだよね。

ひとつひとつの勝負に対してどうこうっていうよりは、一貫して自身の信念に基づいた行動をしているという印象がある。

 

引退会見ではまさにそういう仕事に対する考え方なども話していて、ほとんど俺が思っていた通りの人だった。

引退会見の詳しい内容(後半) 

http://keibalab.jp/topics/24208/
佐藤哲三騎手 引退会見(後半) 決断は「キズナを可愛いと思った時」 | トピックス | 競馬ラボ

 

当日に職場で昼メシ食いながらこれ読んで、泣きそうになっちゃって堪えるのが少し大変だったよ。

 

「お疲れ様!」っていうのも違う気がするし、「ありがとう。」も違うし、本当に何とも言えない。

ただ、心から寂しさを感じた。

 

「好きな騎手・応援している騎手」とかそういうのに名前を挙げたことはおそらく無いし、「哲三だから」って馬券買ったこともたぶんないし、関西の所属だからそもそも買う頻度も低かっただろうし、そうなると大きいレース以外で注目することはほとんどなかったはずだし・・・。

 

ファンとか全然そういうんじゃないけど、良い騎手だと思っていた。

こういう騎手は他にいないし、もう出てこないかもしれないな。

 

「ギャンブルレーサーでいたい」、そんな姿勢を持つ人なんてほんとうに稀なんじゃないかと思う。

そんなこと考えて騎手を目指す人なんてどれくらいいるのだろう。

しかもそれで競馬会のコミュニティ内で一定の成功を収めるのはかなり大変だろう。

 

会見で今後について聞かれた時の「WINS巡りをして、ファンと一緒に馬券を買いたい」って、ほんとうに"らしい"発言だと思うし、そういう発想が出てくることがまた嬉しくもある。

是非やってほしい。

 

 

騎手時代のことを言えば、とにかく俺の中では最後まで「タップダンスシチーの騎手」だった。

 

アーネストリーエスポワールシチーも名コンビだったのは間違いないが、タップダンスシチーとの印象には俺の中で全く及ばない。

このコンビでとにかく強烈なのは、2002年の有馬記念、2004年の宝塚記念、この2レース。

 

2002年の有馬記念は、3歳牝馬超新星ファインモーションがついに一流牡馬との初対戦となったレース。

まだウオッカブエナビスタのように混合G1で牝馬が主役になることはなかった時代だが、本当にファインモーションが勝っちゃうんじゃねえか?という雰囲気だった。

 

スタートして先頭に立とうとする1番人気のファインに超大穴の身で何回も競り掛けて、潰した。

そして4コーナーを回るころには後ろに大きな差をつけ、そのままゴール直前まで粘りこんであわやの2着。

 

 

2004宝塚記念は、向こう正面からの「ブッ込み」。

 

今度は安全策を取りたくなるはずの人気の立場での超ロングスパートで押し切る。

前年の同レースに同じような競馬で3着に負けて、もっと早くスパートをかけるという恐ろしいことをやってのける。そこにしびれる。

他には03年の東京リニューアル記念の自信たっぷりの競馬、京都大賞典ヒシミラクル(鞍上角田は同期)との名勝負。04年の有馬も本当に格好良かった。

あれ、普通にタップダンスシチーの思い出になってる。

 

タップ以外だと

2005年 日経新春杯 サクラセンチュリー

が印象に残っている。

 


第52回 日経新春杯 2005.1.16 京都 芝2400m サクラセンチュリー - YouTube

 

武豊に乗り変わって1番人気だったナリタセンチュリーを3~4コーナーから直線にかけて完全に潰しにいってる(ように見える)騎乗。どっちもセンチュリーなのでややこしい。

当時これを見て、すげえ!武豊潰した!哲三本気だ! と興奮したのをよく覚えている。

パトロールビデオが見たいんだけどちょっと見つからない・・・

 

↓そして武豊の完璧なフォロー(1/16の記事)


日記・コラム 武豊オフィシャルサイト

 

京都競馬場で引退式のあった10月12日、俺は東京競馬場に行った。

これだけ書いておいて、レース終了後に行われた「ジョッキーベイビーズ」というイベントに夢中になってしまって結局引退式は見逃した俺です。どうも。