「森ガール」と名前がつくと、彼女たちの事がわかったような気がする。.
それまでおしゃれで不思議な存在だったのに
急に「ああアレね」と片づけるようになる。
人はわからない事を尊敬するのに
理解して名前を付け分類した後は
それを見下げる傾向がある。
神秘的な自然現象やオカルトも
科学的に説明されるとなんだか気分が下がる。
現象それ自体の魅力はなんら変わらないのに。
評論家が高慢なのも「知ってバカにする」事を繰り返すからか。
茂木 健一郎 - 名前の紙風船から自由な場所で... | Facebook
俺Facebookやってないし新規登録とかしないし別に茂木健一郎とつながりになりたくはない。まずつながりになりたいって何だろう。あとFacebookに話しかけられたくない。
最近話しかけてくる機械が・・・機械?電脳?まぁいいや、話しかけてくるあいつらをとてもしんどく感じる。
ジュース買うと「今日も一日頑張って下さい!」って言ってくる自販機とか、寝不足で疲れてる時なんかはちょっと参ってしまうんだよなぁ。
そういう時は何でも鬱陶しく思えたりするもんだけど、相手が人じゃないからなのかキレることに全く抵抗がないんだよね。
昔ウイイレもしょっちゅうキレてコントローラーぶん投げて、壊して直してわかってるのにそれがあたしの性格だからっつって最終的に本体も壊したりした。
あと居酒屋の個室トイレにある「でも、ここが一番ゆっくりお話できる場所だと思ったので」みたいな張り紙もめんどくさい。飲んで喋って笑った後のここが一番落ち着きたいのに、めんどくさい。世界一周99万とかそういうのはもっと他の時に考えるから。
世の中隙間なしかよ。電車の吊り革とか車体とかに広告貼るなよ、めんどくさい。
こっちからあいつらに話しかけないといけないパターンもあるよね。
昔DSの脳トレが流行った時にちょっと借りてやってみて、ジャンケンで負けて下さいとかそんな奴で俺の声が聞きとりづらかったのか単に反応が悪かったのか、部屋に一人で機械に向かってパー!パー!って叫んでて、ふと自分が悲しくなってそっと本体を閉じた。わてアホちゃいまんねんで。
そんなわけでスマホからSiriをアンインストールしたい。最近また文字入力画面の変なとこにSiriボタンが増えて、誤タップした時に何が起きたのかわからなくてすごくめんどくさい。「お話し下さい」じゃねーよ、さぁ私が何でも解決しますよ、ってノリノリか。お前ノリノリか。毛利小五郎か。ディズニーランドのスタッフか。調子乗んな。あとアンドロイドのCMがうるさい。
ディズニーランドの中だからあのノリが嬉しいってわかるだろ?ヤマダ電機の店員があのノリで話しかけてきたらお前どう思うよ。床に高嶋政伸の顔くらい描いてくれるんならこっちもスマホの保護フィルムくらい買って帰るけどな。ポイントで。
そんで最初に引用した文章だけど、これすげー好きなんだ。
勿論まず内容ありきの良さなんだけど、この例えにに森ガールをもってくる過不足のなさが素晴らしい。
例えることってその例えたものに対して持ってる印象の個人差がかなり大きいから、それをツッコミに用いる時なんかは非常に難しい。例えたものそのものの語感が面白くてウケてるだけの場合もあるしな。
過不足がほとんどない例えって、世の中だったりその場にいるメンバーだったりのことをよく知ってないとそうそう出せないと思う。
以前テーブルの上にA4の紙が20枚くらい並んでて、1枚だけ上下逆だったから「徳川家康か」ってツッコミを入れたんだけどその場にいた5人くらいには全く伝わらずに完全スルーを受けたことがあった。まぁそりゃそうだわ今のは俺が悪い、むしろ触れないでくれるお前らありがとう、でも家康ごめんな、いやでも待てよ今のやつあながち悪くもないぞ・・・いやでもこれを説明してしまうとつまらないのは明白だし、ここは我慢。鳴くまで待とう、いずれその時が来る、いつか風向きは変わる、止まない雨はない!ってな感じでこの一生使うタイミングの来ない例えツッコミを心の中に下書き保存しています。誰かチャンスを下さい。
はい。
俺はものに名前をつけるってやつがすげー苦手で、SNSのアカウント名とかブログのタイトルとかほんとに適当。とりあえず最初に名前つけとかないと先に進めないから仮につけたやつがそのまま残って変えづらくなるという、変な古い法律のような状況になってる。
以下わたしのツイート
―すべらないコピペ○より
http://t.co/YJbBaWLeCW
ほんとそう。
名前をつけてしまうとそこに「枠」ができてしまって、その「範囲」を越えることはないという安心感がそうさせるのかもしれない。
— あじさいすきお (@ajisaisukio) 2014, 9月 18
ということは、人を何か既存のものに属させて納得しようとするのは安心したいからなのかな。
「あの人B型だから」とか「末っ子だから」とかそういうやつね。
それはその人という「1個体」に対して真正面から向き合っていないことになるのかもしれない。
— あじさいすきお (@ajisaisukio) 2014, 9月 18
んー、自分がどう思おうがそれを人に押し付けたり、お前はこうだろ?みたいな決め付けはいかんということですな。
お前森ガールなのにワンピース着ないの?おかしくね?とかそういうやつね。
それよりも「私、森ガールです」って真面目な顔して言うのが一番怖いか。
— あじさいすきお (@ajisaisukio) 2014, 9月 18
いわゆる「レッテル貼り」の話なんだけど、まぁ自分の頭の中で人にレッテルを貼るまではいいと思うのよ。問題はそこから先。それで人をわかったような気になってしまったら、その人に対するそれ以上の理解が止まる。
でも自分のキャラクターの枠からはみ出ない範囲で上手くやっていけばこんなに楽なことはないし、周りもキャラクター通りに振る舞うあなたを求めているんだし、そういう場所のほうが間違いなく世の中には多い。
そして今度はレッテルを貼る側になっていって、少しずつそれに慣れていって、お決まりの流れに頼る。今流行りの思考停止ってやつ。
しょっちゅう「思考停止」って言葉を使う奴も思考停止してるけどな。それ言っとけばいいと思ってるんだから。
「意外」って言葉、それを使ってる側の「意」が「外」れてるだけのことのほうが絶対多いんだよね。お前の「意」とか知らねーよ、調子乗んな。
茂木健一郎の文章を引用した意味があんまりなかったし、結局森ガールってなんなのかよくわからない。お疲れ様です。