母父トニービン

明るいところで読んでね

きりたんぽと迷ったんだけど

 

なんかさー、たまに調子乗って雰囲気の良いパスタ屋さんとか洋食屋さん?とか行くじゃん、大盛り頼みづらいようなとこ。

stomachのcapacityに余裕があるんなら大盛りなんか頼まないでサラダなり一品料理なりを頼んで全員でshareすべきじゃないのみたいな脅迫観念同調圧力建前社会帰属意識のとこ。

俺は高いウイスキーをちびちびやるよりアクエリアスをがぶがぶ飲みたいんだよ。いやこれはちょっと例えとして適切じゃないな。

あとその一品shareをやるとcash registerの時ややこしいから全員酒飲んで割り勘にしようよ。

 

俺はもう調子乗ってんのを自覚してるから、店のドアを開けてすぐは休み時間に隣のクラスの教室に入った時のように多大なる新鮮さと若干の怖れによって地に足の付かない自分という存在を感じて早く我がクラスに戻りたいなぁなんて思うんだけど、取り敢えず椅子に座って上着を脱いだ頃にはこれまでの人生の中で培ってきた「そういう空間で過不足なく過ごせる自分」が箪笥の一番下に入ってるのを思い出して、それを引っ張り出してうわーこれ懐かしいなーよく着てたなーこれなんてちょっと表裏両面を眺めた後にまだ充分着られるサイズであることをよく確認した上でその自分に袖を通して、その気になって「すみません御手洗いはどちらですか」とかスタッフに尋ねちゃうのよ。

「店員に聞く」と「スタッフに尋ねる」はこっちサイドからしたら意味が全然違うからね。

 

そんで何食べようかっつってメニュー開いたくせに全員まず黒板見るじゃん、大体どこにもある、壁に掛かってるでかい黒板。

そこにクルバッサニャスーロのムホスベバチ(ティコラソ風)800円 みたいな、以前どこかで耳にしたことあるような気が一切しないやつが書いてあるのを見つけて、ほんとにこんな料理が存在するのか?実は存在してなくて、もしスタッフに尋ねても「今日はもう終わっちゃったんです、また今度食べに来て下さいね」ってまた来させてリピーターにするために書いたんじゃねーか、なんて想像しちゃうんですよ。

本当は想像したことないですけど。

 

子供の頃、ファミレスのグルメドールエイトで「ビーフストロガノフ」って初めて見た時の衝撃は凄かったよほんとに。神が降りてきた。世界はどうしようもなく広い、ということをあのメニューを見た時に感じた。さすがに頼めなかった。

 

という話を地元のパスタ屋さん(調子乗らずに一人で入ることができて自分の胃の具合を見てプラス200円の大盛りを頼める、あっここ黒板がない!)で書いてたんだけど、言葉の感覚って不思議だな。

もし初対面の外国人さんに自己紹介で「こんばんは、スティリャン・ペトロフです」って急に言われても「Excuse me?」ってなると思う。

そんで外国人から見て日本の「ほんとにそんな名前の食べもん存在すんの」な料理はどれかな、と思った。

 

ひつまぶしかな。