母父トニービン

明るいところで読んでね

この世から煙草を無くしたら大きさを伝える基準はどうするの

 

時代の移り変わりってあるよねー。

 

この間職場の平成生まれのパチンコ好きのやつにパッキーカードの話をしたらその存在を全然知らなくてビックリした。俺が最後にパチンコ屋に行ったのは8〜10年くらい前で打った機種がエヴァセカンドインパクトで確か数千円の負けだったと思うんだけれどもその時に初めてお金を直接入れるタイプの台に座ったんだよ。まさに最初で最後ってやつ。そっかーあれからそんなに時間が経ったんだなぁあの頃の未来に僕らは立っているのかなぁ今はもうのび太のママの声がマリュー・ラミアスにしか聞こえないもんなぁ。しかしその平成生まれがオレンジカードは普通に知っていたのが全くもって不思議なんだよね。パッキー絶滅よりもSuica普及のほうが5~6年は早いと思うんだけど。

 

新年の挨拶を略した「あけおめ」「ことよろ」が出始めたのは高校生の頃で隣のクラスの奴が新学期の廊下でそれを言っているのを耳にしたのが最初だった。3割の面白さの裏で俺は7割のNIHONGO NO OWARIを感じていた。次にOWARIを感じたのは5~6年くらい前に「神回」って言葉を見たとき。「>1は神」「神曲」「神ゲー」のように「神」がそういう使われ方をするのはまぁまぁそういう言い方が流行ってるんだなとしか思わなかったけれど「神回」は衝撃だったね。「回」に「神」が乗っかってくるとは予想していなかったのにみんな面白がって使っていてネット民は字面の理解力が高すぎると思った。ネット民って何やねん。

 

今はアニメで煙草を吸うシーンに批判が出るほど煙草が忌み嫌われる時代になった。過去には会議室のテーブルの真ん中で吸い殻が満タンになっている灰皿をアップで映せば会議が煮詰まっている状況を台詞なしで伝えられたりヤクザ映画なんかでも親指と人差し指で煙草を持つのが下っ端で偉くなると人差し指と中指の間に挟むなど煙草の吸い方で印象をつけられたりしたらしい。最後のキスは煙草のflavorがしたという宇多田ヒカルのFlavor Of Lifeはどんな香りなのだろうか。関係ないが中学校の頃先生に怒られた後クラスメイトに反省の色とは何色かと10人くらい冗談半分に訊ねて回ったらみんな灰色と答える中一人だけマリンブルーと答えたあの人は今何をしているだろう。忘れかけていた人の香りを突然思い出す頃ですね。んで煙草がこの世から無くなった時には物の大きさを伝える時に何を持ってくるのかというのが気になってこの文章を書き始めました。今までは比較基準として煙草の箱を横に置いてたじゃん。煙草が嫌いな人はあれも嫌いなんでしょうねきっと。500mlペットボトルや文庫本では少し大きいし500円玉は小さいしでどっちも使い勝手が悪いような気もするから缶コーヒーあたりに落ち着くのかな。

 

というわけで今回はこれを実践してみた。

 

 

これ読んでもリズムとか情報整理とか俺はあまり理解はできなかったがいつもと少し書いてる感覚は変わるね。というか俺はこっちのほうが書きやすいかもしれない。

読点使わないほうが書きやすいってことはおそらく俺の場合は読点って読む側のことを意識して入れてるんだろうね。ここで区切ったほうが読みやすいだろうなっつって。書いてる本人がそうかもなって思うだけなので深く考えたりはしてないけど。

今回の収穫としてはどうにもこうにも据わりの悪かった自分の書き方の癖「〇〇なんだけど、▲▲だよね。」をやらずに済んだこと。どうにもこうにもまこっちゃんシャ乱Qの人ね。

 

もしかしてだけど、そういうことだろ。ジャン