母父トニービン

明るいところで読んでね

競馬観戦記「開門ダッシュ」

 

競馬には様々な楽しみ方がある。

 

馬の競争を見て楽しむことに始まり、そこに賭けること、そして応援すること。

次に、絵画や彫刻の題材にも取り上げられるサラブレッドの美しさ、連綿と続く血のロマンなど、動物の競技だからこそ味わうことができる魅力。

そして馬の周囲には時に映画や小説の題材にもなるような深い人間ドラマがあり、馬主として馬に自分の夢を乗せることもできる。

他にも各地の競馬場を巡る旅、レース実況の流れるような名調子、騎手のやる気の予測、場内でビールを飲んで貪る惰眠。

自分の外れ馬券を集めてニヤニヤする人もいると聞く。

 

人の楽しみにケチをつけるのは野暮なことである、誰にも迷惑を掛けず楽しんでいるのならば各自それで良いだろう。


これほど多様な側面から見ることのできる競技は他にいくつもないのではないか、と思える。

こうして魅力を並べてみると私は競馬という大きな存在のほんの一部だけで満足していると改めて感じさせられるし、私がその気になればいくらでも他の楽しみ方が用意されている。やりこみ要素は尽きないのだ。

 

 

そして、その楽しみ方のひとつに「開門ダッシュ」というものがあるらしい。

 

まず、競馬場のスタンド席は早い者勝ちで椅子を確保するのが慣例になっている。

一度確保した席は基本的に終日使用できるのだ。

そうなると、レースが見やすいゴール板付近やターフビジョン正面の席は朝一番で取り合いになる。

そこで誰よりも先にその席に座ろうと(休日の朝にきちんと起きられる人は)考える(らしい)。

JRAの競馬場は基本的に朝9時の開場なので、それと同時に入場門からスタンド席まで一目散に走って席を確保しようということになるのだ。

大きなレースになれば前日やそのもっと前から徹夜組が並んでいることもある。

その「開門ダッシュ」が競馬場のひとつの文化として存在している、というのは仲間からよく聞いていた。

それを経験した者は皆楽しそうにその話をする。戦国時代に合戦から生還した武士達もこうだったのではないか、そんな想像をしている。

しかし、私はその話を聞いても場の雰囲気や光景を思い浮かべることができずにいた。

賑やかな一日の始まりなのか、それとも殺伐とした戦いの時間なのか。

特に興味があったというわけではないのだが、一度くらい体験するのもやぶさかではない、そんなところだった。

まず朝9時以前に競馬場に行くとなれば、何時に起きて何時に洗濯物を干し終える計算になるのだろうか。

正直考える気にもならない。

 

昨年9月末のよく晴れた週末、新潟へ行ってきた。

どういうわけか私の知らないうちに1泊2日で土日とも新潟競馬場へ行くことに決まっていたのだ、数ヶ月も前から。

話の経緯はわからない、本当にどういうわけだろう。

 

今回は7名が集まることになった。

うち1名が新潟在住で他6名は南関東からの遠征組。

関東の6名の中には9月の週末のほとんどを新潟競馬場で過ごしていたメンバーもいる。

彼の闘病生活はまだ始まったばかりだ・・・!

 

1泊2日、どうせ2日とも競馬場へ行くのなら、2日目は開門から行ってみるのも面白そうだ。

そうすると初日に朝から慌てることもない、ゆっくり旅路を楽しむのもいいだろう、と私は考えていた。

 

 

初日の朝。

 

既に友人達が現地で1レースの馬券を悩んでいるであろう頃に布団から這い出した私は、朝食を済ませて旅の支度を始めてから家を出る。

この旅行に備えて平日のうちに洗濯は済ませておいた。

しかし、夕方から夜にかけて洗濯物を干さざるを得なかったことが悔やまれるほどに今日は良い天気だ。

 

30分後。

 

人生で初めて新幹線の乗車券を自分の力で購入するというこの旅最大の関門に直面した。今まで全て人に任せっきりにしてきたツケだ。

しかし券売機というものは奇跡のような存在だ、迷宮に迷い込む私を「もう一度最初からやり直して下さい」と入口へ導いてくれる。

結局「特急券」という存在の意味を理解することはなく、それでも購入を完了。

私がそれを理解するのは翌日だった。

 

自由席は列車の後ろから3両目までらしい。

ホーム端寄りのベンチにて読書の秋を満喫すべく読みかけの綿矢りさを開いて列車を待つ。

しばらくして列車がホームに来る、とアナウンスが入る。

私はきりのよいところでしおりを挟んで立ち上がり、床に示されたラインに沿って立った。

 

周囲には並んで待つ人はほぼいない。自由席とはこんなものなのだろうか?

このシーズンの北陸方面は案外穴場なのかもしれないな、覚えておこう。

静かにホームに入ってきたピカピカの列車は、あろうことか私を無視するように通り過ぎ、30mほど先に停車してドアを開いた。

そこには多くの旅行者が並んでいる。

やはり行楽シーズンの土曜日、出掛ける人は多かったようだ。

列の最後に並んで乗り込むことになったため席には座れず、高崎で空くまでの間はトイレの近くで立ったまま読書。なんて日だ。

いよいよ新潟県に入るあたりで読んでいた本も佳境に差し掛かるのだが、長岡駅を過ぎたところから横揺れが激しくなったため読書は中止せざるを得なかった。

乗り物に酔いやすい体質が恨めしい。

 

どうにか堪えて新潟駅に到着、さすが政令指定都市の中心部だけあって駅の周辺は都会だ。

以前福島に行った時は駅を出てすぐ近くに山が見えたことが非常に印象的だったが、ここではそれは見えない。

後に地図を見て調べたところ新潟県中部は越後平野という平地が広がっているそうで、新潟駅はその真ん中の海寄りに位置している。

さて、新潟駅から新潟競馬場まではかなり距離があるようで、直行バスが出ているらしい。

ということでバス停を探してしばらく歩き回ったのだが見つからず競馬場のホームページを検索。

探す前に検索をして効率的に行動するような、そんな旅ではない。

ホームページからバスの時刻を閲覧すると、午後1時以降にそのバスは出ていないのだった。

しばし途方に暮れた後、タクシーで競馬場へ向かう。なんて日だ。

上がり続けるメーターを眺めながら、さすがにゆったり構えすぎたのかもしれないと思いつつ阿賀野川を渡る。

4000円の出費は予定外だった。

 

 

さぁ、いよいよ新潟競馬場

入場門をくぐった先は広場になっていて、出店の屋台が並んでいる。

なんとも雰囲気の良い競馬場だ。

真っ直ぐに歩いてゆくとパドックで歩いている馬が右手に見えてくる。今は第9レースらしい。

天高く、馬肥ゆる秋。 本当に良い天気だ。

 

先に阪神のレースを購入して、仲間と合流。ナヴィオンは買っていない。

第一声の「おーっ!一人で来られたか!」を軽くかわし、席につく。

もちろん私がこのような見やすい位置で席に座れるのも、今朝の開門ダッシュ組の血のにじむような道楽心があればこそだ。毎度感心する。

そういえば土曜日に競馬場に来るのはいつ以来だろう、10年振り近いのではないか。

「本番は明日」と軽いウォーミングアップのつもりであまり考えず購入していった結果、この日の馬券は全て外れ。

タクシーの出費を取り戻そうとしたわけではないのだが……

 

新潟駅周辺のホテルを押さえてもらっていたため、競馬終了後は新潟駅へ移動。

一旦ホテルに荷物を置いた遠征組と現地メンバーで再び集合し、周辺をぶらついて居酒屋で競馬談義。

2軒目の天ぷらが美味かったこと以外、あまり記憶がない。

その後は翌日の競馬新聞を買ってホテルへ。

明朝の集合時間を確認し、部屋へと入る。

美術館を決められた順路通りに回るがごとく、鞄の中身がベッドと壁の間に挟まる、テレビをつけてもチャンネルがわからない、という一通りの旅行あるあるをこなして就寝。

 

 

2日目。

 

携帯の目覚ましより先に目が覚めたので、アラームが鳴るまで布団の中で過ごす。

私はアラームで一日を始めることに決めている。

ようやくアラームが鳴ってくれたので、朝食を食べに食堂へ。

テーブルでは既に仲間の一人が競馬雑誌をじっくりと読んでいる。

熱心なことだ、この旅は彼にとって強化合宿のようなものなのかもしれない。

よくあるバイキング方式の朝食で、ご飯、味噌汁、おかずを適当に、それと好物の梨をお盆によそって席につく。

おかずの方が先に無くなったが再度取りにいくのも億劫なので、梨でご飯を食べる。

特に問題ない。何事もチャレンジだとつくづく感じさせられる、これが食欲の秋か。

 

部屋で支度を整えてチェックアウトを済ませ、競馬場行きのバス停へ。

既に20~30人が並んでいる。

全員が元気なくうつむいているように見えるのは、競馬新聞を食い入るように見ているからだろうか。

 

しばしバスに揺られて、再び新潟競馬場

 

今日は大きなレースではないが、入場門の前にはレジャーシートを敷いて座る人や折り畳み椅子に腰掛けて待つ人もいる。皆慣れている様子だ。

その場には70~80人くらいの人がいただろうか、非常ににこやかな雰囲気だ。こういうものなのか、彼らにとっては日常のひとコマなのかもしれないな。

仲間うちでの開門ダッシュ組は私を含めて4人。

9時が近づいて、いざ開門。

入場門を通過してから仲間の一人が飛び出し、私もその後ろをついて行く。朝から競馬誌を読んでいた、あの彼だ。

 

速い。

 

しかし・・・走り出したはいいがそもそも私はどこへ向かって走れば良いのだろうか。私はゴールを知らない。

彼の背中を見失ってしまっては「開門迷子」になりかねないので必死に喰らいついた。

建物を通り抜けてスタンド側へ出ると、彼が見えた。彼の前を走る者はいなかった。

無事に席を確保して、彼は言う。

「コース取りが上手くいった」

この競技もまた、なかなかに奥が深いようだ。

 

抽選で当たったボールペンがレース前に壊れたことに嫌な感触を感じつつ、新聞を開いて予想を始める。

ここから忙しい一日が始まる。

私の馬券の調子はあまり振るわず、いくらかの負け。

昨日のタクシーの出費を取り戻そうとしたわけではないのだが……

新潟駅で申し訳程度の土産を購入し、帰りは遠征組6人で一緒に新幹線に乗車した。

 


開門ダッシュを経験してわかったことがある。

走ることそれ自体がどうのこうのと言うよりも、席をとってから第1レースが始まるまでのゆったりした時間、これがとても良いものだということを知った。

思えば今まで競馬場にいる間は昼食以外ずっとレースの予想と観戦で忙しく過ごしていた。

新聞社の抽選に参加したり、ベンチで仲間と談笑したり、新聞を開いて騎手や種牡馬の悪口を言い合ったりする時間。

あの何でもない時間もまたひとつの競馬の楽しみ方だったのではないか。

何でもない時間を過ごせたこと、笑いの絶えない良い旅になったこと、皆に感謝。

 

 

今週末はきさらぎ賞

話題になっているルージュバックという牝馬がこの時目の前でデビュー勝ちしていたらしいのだが全く印象にない。

じゃあその時は何を見てきたのかと思い出す意味で以前書いたこの文章を引っ張り出してきました。お疲れ様です。