母父トニービン

明るいところで読んでね

21:58

 

朝。

 

いつも通りにおはようタイマーでテレビが点いて夏目三久の声が聞こえてくるのをぼんやり認識しながらいつも通りの油断をした俺は、スマホのアラームの3回目で飛び起き部屋の時計を見て「またやった」と後悔する。

もうこんな人生は嫌だといつも通りに絶望しながら歯を磨き、朝食を家を出る前に採るか駅までの道のりで採るか考えながらテレビ画面で時間を確認した。

常温と見せかけておいてテーブルの上で意味もなく冷えているお茶を一口飲んでから布団の足元付近に脱ぎ捨てられているこれまたよく冷えたタイトなジーンズに私という戦うボディをねじ込み、おにぎりをかじりながらテレビを消しその下にあるHDDレコーダーの時間表示を見る。

よしなんとかギリギリと崖の上を行くようにフラフラ家を出て、二つ目のおにぎりを食べ終えいつもの角を曲がるタイミングでスマホで時間をチェック。

これは少し走る必要があるかと信号が青になったところで健康の為のジョギングを開始、いつも見るおばちゃんの背中が駅の手前まで来てやっと見えたのでついに本日最初の安心を得ることができ堂々と駅の改札を抜けてホームへ上がると電車は2分程遅れているらしい。

「ちっ、あと2分眠れた」と考えないだけ自分はまだましだ、と思いながら寝坊した俺よりも遅く来た電車に乗る。

いつもの朝のラッシュ、違うといえば「何か違いたい」と思う心かな、と考えながらもし今日見た時計のうちどれかひとつでも遅れていたらどうなっていただろうかと不安な気持ちで窓の外を見る。

今日は曇っていて富士山は見えない。

 

 

最近時計がずれることってほぼなくなったじゃん。

 

魔女の宅急便でおばあさんの家の時計が10分遅れてるシーンとかそのうち「え?時計ってずれるの?」って意味わからん人が出てくるのかな。ずれるんなら合わせりゃいいのにババァ何してんの時計の意味わかってんのって思うのかな。

日々の中ですこーしずつ時計がずれていっていつの間にかそのずれが3分になって5分になって7分になってそのうちあの時計大体10分くらい遅れてるから7時45分を差してるけどそろそろごっつええ感じ始まるなぁ巨人負けてるし下位打線だし今のうちにチャンネル変えたれ、とか思うあの感覚は今後なくなってくのかな。最近少し減ったけど55分とか58分とかから始まる番組もあるし。

 

子供の頃は友達の家に行くと早めに行動する癖をつけるためだとかでわざと時計を10分くらい進めておく家庭とかもあったりして、この後用事あるんですけどあの時計合ってますかって人の家で尋ねることってもうないんだろうな。というか時計がビシッと合ってる家のほうが少なかった気がするな。

いやでも携帯電話も時計ずれていったよね、ごく最近まで。俺もほんの何年か前までは年越しの瞬間に時刻合わせしてたわ。どうせ合わせるならきちっと合わせたいからカウントダウンしてくれる時が一番いいじゃん、そんでカウントダウンやるのって年越ししかないんだよね。だから電波少年が昔やらかした時はそういう理由でキレた。

 

携帯電話を持ち始めた頃は分単位で時間がわかっちゃうのが時間に追われているようで落ち着かなくて、適当に時間を示す時計欲しいなーと思ってたんだよね。「8時過ぎ」とか「2時半」とかそういうざっくりしたやつ。

そしたら所ジョージがほんとにそんなような時計を作ったらしいんだけど、やっぱいらないね。「そう在りたい」と思うのと「そう在る」のは全く別らしい。

 

 

まぁでも大体そんな感じなんで天気予報とかも大体の雰囲気がわかればいい。週の中ごろにちょっと崩れて週末は暖かいとかそれくらいわかれば俺は充分よ。

天気予報のアプリも晴れや雨のマークがかわいいってだけで選んだので別に当たらなくていいもん。占いと一緒でどうせすぐ忘れるし別に降ったら降っただし。

 

一回だけ、一回だけね、TBSのニュースで「明日は一日もつでしょう」って言ってたのに次の日は午後から雨降って、その日の夕方に「いやー降っちゃいましたねぇ」ってニヤニヤしながら言った森田さんにはムカついたけどね。まぁ森田さんが予報を出してるんじゃないってわかってるんだけど、あの時なんであんなにムカついたんだろう。