母父トニービン

明るいところで読んでね

後藤のこと

 

ようやく気持ちが落ち着いてきたので、後藤騎手のことを書いてみようかと思う。

気持ちの整理は全くできていない。絶対暗い感じになると思う。

 

 

2/21の競馬、ステイヤーズSを見ていたら落馬があって、12番って誰だ?と出馬表を調べたら落馬したのは後藤だと。それがわかった途端に背筋がぞわっとした。

もしかしたら、これで、もう・・・。

 

そのあと起き上がって、自分で歩いて戻ったって話を知っても全く安心はできなかった。

馬は駄目だったらしい。

後藤に関してはその日のうちに特に悪い情報は聞こえて来ず、翌日乗り替わりの情報もなし。

 

そして次の日は無事にレースに乗っているらしく、勝ち星もあげていた。

あー、普通に大丈夫なのか。はぁ、取り越し苦労だった。俺はすぐに忘れた。

 

 

2/27、金曜日の朝、後藤騎手が自宅で首を吊って死んでいるのが家族によって発見された。

 

その日の午前中、俺は仕事が一息ついたところで小休止。スマホTwitterを見ていると「後藤が自殺」とタイムラインに流れてきて、瞬間的に「これだからツイッターは・・・」と思った。

そういう発言をする人はフォローしないようにしてるんだけどな。Twitterばっかりやってる人というのはよく調べないで反射的・連鎖的につぶやいてしまうものなのだろうか。どこがこんな情報流してるんだ?

 

後藤浩輝 ニュース」

 

当日の記事は2件ヒット。どっちも新聞社の記事だ。

記事を読んでみると、どうやら事実らしい。

 

頭がグラグラする。吐きそうだ。自分の筋肉だけでは姿勢が保てなくなる。

机に肘を付き、額に手の平を当てて、10分くらい呆然としていたかもしれない。あぁ、仕事に戻らないと。

 

昼もカップラーメンを食べながら左手でスマホ、ひたすら検索をして全ての記事を読んでいった。全部同じことが書いてある。

netkeibaにはまだ記事が載っていない。Twitterは見なかった。

 

午後も仕事をしながら、後藤はどんな気持ちだったのだろうかと考えていた。

リハビリをしていた時、復帰した時、また落馬した時、テレビで解説をしていた時、再復帰後初勝利の時、また落馬した時、コースから歩いて戻ってくる間。

俺に考えてもわかるわけがない。でも、考えずにはいられなかった。

 

明日、いつも通りに競馬を見るのか?

こんなことが起きてしまうスポーツを見るのか?

 

夜は風が強かった。

友達とメールを交わして、少しだけ元気が出た。

 

しかし翌日の土曜日は結局競馬を見なかった。

 

毎週自動予約で録画をしているので後からいつでも見られるし、まだちょっとレース自体を普通に見られそうもなかった。

さらにウイニング競馬という番組自体にもここ1年くらいは面白さを感じないし、ちょうど前回でほとんど愛想が尽きていた。そこで後藤の自殺について語られるのを見て、何か嫌な思いをする可能性がわずかでもあるなら見たくない。ジャンポケ斉藤はよく頑張って放送をやりきったとも聞くが。

 

日曜日は少しだけ見た。

と言ってもこれも番組自体は見ずに、東西メインレースの15:35~15:50の間だけテレビを点けた。

アドマイヤコジーンディヴァインライトで荒れに荒れた東京新聞杯も、こんな冬の雨だったな。

中山記念の馬券は友人に頼んで買ってもらった。今思うと競馬を見るモチベーションを作るため、というのもあったのかもしれないがよくわからない。

 

 

後藤は嫌いな騎手だった。

 

1度目の復帰後初勝利も、2度目の復帰後初勝利も、たまたま俺は競馬場にいた。

しかしどっちも拍手はしていない。もちろん馬券を買ってなどいない。

 

嫌いになった原因は2003年秋の天皇賞

あのレースは今見ても腹が立つだろうか。もしかしたら余計に腹が立つかもしれないな。

あの騎乗だけはずっと許せなかったが、今はもうどうでもいい。

 

亡くなって3日も経って、これ書いて、やっと泣けた。

 

あぁ、考えて、書いて、処理したくないよ。

 

外面は明るい努力家だけどああ見えてきっと内面はこれこれこういう性格で、おそらくああなってこういう思考の流れになって、それで・・・。という風にこの件を納得してしまいたくないよ。

 

後藤は何のために騎手をやっていたんだろう。

とにかく、騎手・後藤浩輝は自殺をした。

 

あの後藤が、自殺を・・・。

 

思考がそこから先に進まない。