俺、昔から謎の特技があって、「人の生まれた月を当てる」ってのが得意なんだよね。またこれがそこそこ当たるんだ。ある程度その人を知らないと推測することができないから証明するの難しいんだけど、証明するのが難しいからこそ否定するのも難しいわけなので特技ということにしてる。疑わしきは罰せず。
その能力が培われた要因として、幼稚園から小学校3~4年までクラスの出席番号が誕生日順だったのが関係あるかもしれない。
早生まれの傾向は間違いなくある。俺の感覚的なものなので全然上手く言えないんだけど、可愛げというか優しさというか・・・根っこにそういう"何か"がある気がする。
3月生まれのみんな、お誕生日おめでとう。 - (チェコ好き)の日記
この記事にあるように、早生まれは小さい頃ほど4月や5月生まれの子と差が大きいからそこに何かがあるのかもしれない。弟が3月末も末の生まれなんだけど大変だったんだろうな。
うーん、「人生で一番幸福だった時代」か。
このつまんない前置きで始まる文章によると俺は「あの頃に戻りたい」というような時期がないらしい。確かに今考えてもやっぱり思いつかない。
どの時期も辛いことはあったし楽しいこともあったけどそのへんの経験があって今の俺になっているはずなので、その経験をリセットしてでも戻りたい時期はないってことか。
俺は愚者なんで基本的に経験からしか学ばないみたいなんですよね。やっぱり自己啓発本とかそういうの読んで人の考え方を学んだほうが良いんだろうか。でも読んでもどうせそれを人生に活かさないような気もする。そんなこと言ってるから愚者なんだよ。こんばんは、愚者です。
幸福って何でしょうね。信号が全部青だったらそれ幸せなのかなぁってことを最近考える。将来もずっと青であることがほぼ見えていれば幸せなのかな。
上手い具合に青信号が続いてて幸福だったかもなって時期もあるけどどんどん進めてしまうせいでどこ曲がるのかわからなくなってたりそもそも何で車なんか運転してるのか見えなくなってたり後から冷静に振り返ってみるとガソリン切れかけでもうランプ点いてたよなぁ、でも本当に楽しかった、でも別に戻りたくはねぇな、今はもっと違う運転の楽しみも覚えたし当時いかにギリギリな状況で何も見えず周りに迷惑を掛けながら走ってたかを知ってしまった今ではもうあんな無茶は出来ないとか思うじゃない。
まぁ昔乗ってた車のガタガタ感もワイパーがギュイギュイうるせぇのも手動で窓開けるのも悪くなかったけどな。サイドミラーが割れててルームミラーも外れててウインカーの玉が切れててサイドブレーキも壊れて使えない車だったけれどあれも良い経験だったよと思えればそれが一番幸福なのかもしれない。多くの大人はそれを「そう思わないとやってらんないよ」と言う。
でもそうなると何も考えず何も頑張らずにただ流れのままに生きても無理矢理自分を幸福な人にすることが出来てしまってそれはなんか違う。でも幸せを見つけ出すのは自分で、決めるのも自分だよな。人が決めることじゃない。
3月11日に「幸福とは何か」を考えました。
3月11日にだけいろいろ想うことはどうなのか、だからって3月11日に何も想わないでいることはどうなのか、最後に無理矢理この話に持っていくのはどうなのか。
それでも3月11日はやっぱり3月11日なわけで、無理して話すことでもないし簡単に忘れてしまえることでもない、そんな感じです。今日がお誕生日の人、おめでとう。小さい時は大変でしたね。