母父トニービン

明るいところで読んでね

DSK

 

 

天声人語:朝日新聞デジタル

 

言わんとすることはわかるし意見は意見としてべつにいいんだけど、前半の流れから真ん中過ぎて急に「日本政府」なんて単語が出てくるとテンションが一気に下がる。今日のは雰囲気いいなぁ~内で溜めてるぞ~ワクワクと思って読み進めるとこのコラムはいつもこうなる。

説教くさい内容がうざいとかこの人の言うことは間違ってるとか政治の話が嫌だとかそういうことは思ってなくて(そう思ってたら読まない)、この書き方がどうしても好きになれない。起承転結の"転"がいつも同じ方向に転がるから「また釣られた……」という気持ちになる。

話の導入に言葉を借りてくるってんじゃなくて、名のあるものに乗っかって意見を言おうとしているような姿勢に見えてなんか悲しくなる。書かれている内容は考えさせられるものなんだけれどね。

 

そうじゃなくて、ポイントはそこじゃなくて、

 

「言葉の発し手と、受け手とが、ぴたり切りむすんだ時、初めて言葉が成立する」と評したのは詩人の茨木のり子さんだった

 

ってのが印象的だった。また引用の引用になっちゃった。

 

 

zuisho.hatenadiary.jp

私の書く筋肉の躍動或いは貴方の読む筋肉の躍動にこそ価値がある。(中略)何かのテーマについて書いて考えて真理を見つけようとするだとか知見を深めようとするだとかも、僕にとっては目的ではなく手段なのです。重要なのは筋肉の躍動です、僕が書く筋肉を十全に発揮して書き、貴方が読む筋肉を十全に発揮して読む、そのふとした瞬間にもし目でも合おうものならお互いをお互いになんて美しいだろうと息を飲むに決まってるじゃないですか、そして人は美しいものには無条件で最大限の敬意を払うに決まってるじゃああ~りませんか

 

俺は書くほうは今はどうでもいいので、読む筋肉をつけたい。読む筋肉がつけば今日のコラムの捉え方も変わるかもしれない。逆にもっと嫌いになるかもしれない。

 

森鴎外は全然読んだことないです。