これ読んでちょっと考えてみたけど俺にとっては別にどっちでもいいということになった。俺は物事を自分の中で突き詰めると簡単かつ乱暴な答えに辿り着くことが多いかもしれない。
俺はパンより米派です。白い米と味噌汁で刺身を食べたいです。食べました。思い通りです。幸せです。
そうでしょうか。本当に自分の中からの欲求でしょうか。「日本人はコメ」という長年の刷り込みがそうさせているのではないのでしょうか。鮮魚コーナーの「旬」の字によって刺身を買わされたんじゃないでしょうか。
そのへんは別に強く否定する気もないしそんなのどっちでもいいじゃないか。おいしかったんだから。
だいたい産まれた時点から既に思い通りじゃないわけなんだよね。「よっしゃここはひとつ派手に産まれたらぁ」とか思って自発的に出てきたわけじゃないんですよ俺は。両親がいて産婦人科があってそこで初めて父ちゃん母ちゃんロドリゲスなわけじゃないですか。
俺は弟がひとりいるんですけど、弟が生まれたあたりから特にもう全然思い通りじゃない。弟との最初の記憶は嫉妬なんですよ。ジェラシー。家の中の日が当たるところで母ちゃんが産まれてまもない弟を抱いて座ってるのを見て、強烈な嫉妬を感じたことをよく覚えてる。
言葉できっちり表そうとしても難しいんだけど、この野郎、くらいは少なくとも思った。生まれるまでは母親のお腹に話しかけたりしてたから仲良くやろうという気持ちはあったよ。でも実際生まれてきて、ずっと自分に注がれていたものがどうやらあっちに流れ出してるその光景を目の当たりにしたらこれはキツい。なんせこっちはもう物心が付いちゃってるからね。理解しちゃうわけですよ、これが何の始まりを意味するかって。母ちゃん取られたぞ、って。こんなデメリットは想定してなかった。
これがひとつふたつ違いとかならまた違うのかなぁーと思ったらこれを思いだした。
手首を流れる血をお前の体に絡みつけると一瞬のうちに蘇る記憶に視界を閉ざされ笑いながら逃げてゆくお前のってこれSilent JealousyじゃなくてWEEK ENDだったわ。
ちなみにSilent Jealousyは曲の長さが7分ちょっとなので7分のパスタ茹でるのに丁度良いよ。
まぁそんなんを経験して大人になるんですかね。思い通りにはならないもんだよっつって。
最初の問題に関しては「思い通りにやっている、なっている」という錯覚に気をつけないといけないってことかなぁ。楽しくないのに書く意味はあまり感じない。それがどこから生まれる感情だとしても。
今のところはブログを書くことによってなんか楽しかったりしてるっぽいけど、別にこれを続けようとも止めようとも思っていない。
あれ、マラソン楽しくね?書くよりも走るほうが楽しいわ、とかある日思ったらもう走るわけですよ。明日の今頃にはあなたはどこにいるんだろうって宇多田ヒカルが言ってたけど、明日の自分もわからないわけですよ。半年後には「あー半年前はよく書いてたなーあんときゃ楽しかったなー」なんつってこの文章を読み返してるかもしれない。