母父トニービン

明るいところで読んでね

クソ記事を書け

 

なんか馴れ合いについていろいろ話題になってるね。

 

まぁ俺も馴れ合いにならないようにというのは少し意識しているんだけど、意識すると今度そのラインがどこなのかとどんどん難しいほうへと思考が進んでしまう。

そこで俺がたまにやるのが「誰にも意味のないクソ記事を公開する」です。

いや別に馴れ合わないために敢えてそれをやってるわけじゃないんだけど、これをやると安心するのよね。たまにさぁ、スベりそうなのがほぼ見えてるけどでもこれ言っておきたいなーって力技のボケをかます時あるじゃん。あれに近い。

あたし思うの。ちゃんとスベれるということはとても大事。もしあたしが偉い人になって、いつ何を言ってもみんなが愛想笑いしてくれるようになったらもうそれ以上面白いこと言えなくなると思うし、そもそもボケることに意味を見出せなくなると思うの。あたしそう思うの。

 

クソ記事を書くには、まず「わざわざ読んでもらってるのに申し訳ない」と思わないことが重要。もちろん書いたものを読んでもらえるのは嬉しいんだけど、お客様第一主義が消費者の意識を変え、ひいては第3次産業全体を変えてしまったことに学ぼう。読み手にとってつまらないものを書いた時はしっかりつまらないと思ってもらいたい。弊社の理念はここにあります。

おそらく馴れ合い状態になると、読んだ側は本当につまらなくても文章から何かしらを無理矢理拾って「ここの言い回し、個人的に好きです」なんて無理して言わなきゃいけない感じになるだろうし、書く側は読んだ人が拾えるポイントを増やすよう意識して文章を書いたりする。いや別にコミュニケーションを取ることを中心に置くならそれは凄くいいんだけど、今はそういう気分じゃない。

 

でも俺は「この文章いいなぁ」がもっと素直に言えるようにならないとなぁ、と思う。返事や見返りを求めてやってるように思われたら困るなーと思ってしまっていつも二の足を踏むんだよねー。基本的にそういう時の下心は少ないはずなんだが。

良いものは良い、ときちんと言えるようにならないと。

 

関係ありそうな気がするんで張っとく。

 

kwchn.hatenablog.com