競馬を好きになったきっかけとか、馬券とか、なんかそういう話をしまーす。
競馬との出会い
俺の競馬に関する一番古い記憶っていうと、思いつくのは映画なんだよね。山田洋次監督の『学校』で田中邦衛が回想する、1990年有馬記念のオグリコールがめちゃくちゃすごいんだよ。
あのシーンはオグリキャップよりも、オグリキャップが勝って盛り上がってる観客のほうを映してるからすげー迫力あった。めっちゃ大勢の人がこんなに熱狂してるんだな、すごいなー、と今も強く印象に残ってる。
最初に競馬に触れるきっかけはゲームだった。まあそういう世代なんです。スーパーファミコンの初代ウイニングポストね。
はい出ました名作。OP曲ほんと好きだったわー。初代はなぜかサードステージよりユーエスエスケープのほうが強いんだよね。仲の良かった友達がやり始めて、流れで俺も始めたんだと思う。
そして当時のゲームには攻略本がつきものなんですよ。スーパーロボット大戦とか攻略本読んでるだけで楽しかったもん。何も知らない子供の俺は、種牡馬紹介コーナーを読み込むことで名馬達の知識を得ていった。
・オグリキャップって短距離の安田記念と長距離の有馬記念の両方勝ってるんだ、すげー!
・しかも32戦22勝とか勝ちすぎ!やべー!
・サッカーボーイ、6勝の合計着差が36馬身とかありえねー!
・ミホノブルボン8戦7勝とか最強すぎやわー!
・ダイタクヘリオスさん、人気背負うと勝てなくなるとかマジウケるー!
「〇戦〇勝、主な勝鞍 〇〇記念 〇〇ステークス」ってざっくりした戦績に短文のコメントが添えてあるだけだったので、トウカイテイオーが何であんなに人気あるのか当時は理解できなかった。G1いくつも勝ってすごいのはわかるけど、他と比べてけっこう普通じゃね?みたいな。
そして勢いに乗った俺は、中古のダビスタも買ってくる。
ダビスタ2だね。アグリキャップやコウカイテイオーがすっげー強かった。何よりも、「なんか様子が ヘンです・・・」の時の、調教師の「なんてこった…………!!」的な表情は忘れられない。
そんでまた当時はちょうど少年ジャンプの『みどりのマキバオー』が流行ってたんだよ。やっぱり競馬ブームの名残がまだ強かったんだね。
なんかめっちゃ喋りながら走ってんなこいつら!って読んだのが初めてなんだけど、どうやらそれが日本ダービーの直線だったらしい。いきなりチュウ兵衛が倒れてポカーンとした。
俺はアマゴワクチンが好きだったから菊花賞は感動した。あのレース見てサトミアマゾン好きにならない奴いないでしょう。
初めて本物の競馬のレースを観たのは、暮れのスプリンターズSだった。
土曜日に友達の家に泊まりに行って一晩中サッカーゲームやってたその翌日、テレビで一緒に中継を見たんだよね。フラワーパークとエイシンワシントンが同時にゴールして、写真判定がめちゃくちゃ長かった。
メジロブライト
それだけ競馬に関するものに触れていたのに、それでもまだなかなか現実の競走馬までは興味が向かなかったんだよねー。
当時はまだ普通のスポーツニュースでもけっこう競馬の特集やってたんだよ。だからプロ野球の試合結果見た後なんかに、流れでけっこう見てたと思う。江川卓と杉本清の予想対決とかやってた。
で、なんかその年のクラシック戦線ではメジロブライトって馬が有力視されてるらしいと。
どうやらその父親のメジロライアンってのも同じ馬主の馬で、現役時代は日本ダービーで2着だったらしく、息子のこいつはそれを勝ちにいくらしいと。
話は聞かせてもらった。
俺の場合は先にゲームや漫画から入ってクラシックの重みとか年間のレース体系なんかにいくらか詳しくなってたから、応援する馬さえできれば理解が早かったんだろうね。
と思ってたらそのダービーは3着に負け、秋の菊花賞も3着。なんだこれ。強い馬なんじゃなかったのかよ話が違うぞ。
当時はまだたまにG1レース見るくらいだったので、その後のステイヤーズSの圧勝とかは記憶にない。スポーツニュースで見かけたり友達から聞いたりはしたかもしれないけどね。
結局その年のメジロブライトはG1を勝てなくて、有馬記念で同期のシルクジャスティスのほうが先にG1を勝ちやがる。ぐぬぬ。
翌年の春、メジロブライトは春の天皇賞でシルクジャスティスを負かして念願のG1を勝つ。メジロ牧場に春〜!!っつって。これは本当に嬉しかったなー。
そしてまたそこからG1を勝てないんだけど、その年の暮れ、有馬記念でグラスワンダーに負けた。びっくりしたね。
前の年にグラスワンダー強い強い言われててへぇーすごいなと思ってたけど、怪我して弱くなっちゃったって聞いてたし来るわけないと思ってたんだよ。
あの馬が4番人気なんて、けっこうみんな競馬に夢を見て馬券を買うんだなぁ、なんてちょっと小馬鹿にしてたらほんとにそいつが圧勝するんだもん。
翌年。
メジロブライトは春の天皇賞に出て、今度はスペシャルウィークに負けた。
長距離はこっちの得意分野なのに、父サンデーサイレンスの武豊の馬に負かされるなんて、なーんか腹立つなぁ。そりゃダビスタなら絶対にそっちの方が走るよ。でもなぁ、そうじゃねえだろ。メジロライアン産駒なめんなよ。知らんけど。
もう完全にスペシャルウィークを敵視し始めた俺は、続く宝塚記念でグラスワンダーを全力で応援してた。
そしたらグラスの圧勝だよ。痛快だった。「痛快」ってこういうときに使うんだな。はっはっは。これはもう、今見てもニヤニヤしてしちゃうくらい。
逆に、有馬記念は負けたと思って目の前が真っ暗になった。テレビの前でほとんど現実逃避しながら「いや、グラスが勝ってる、グラスが勝ってるはずだ、スペシャルに負けるはずがない……」とつぶやいていた。
武豊のウイニングランを見ながら絶望してたら、写真判定で本当にグラスワンダーが勝ってると知って、「えっ、嘘でしょ?」と反応したのをよく覚えている。
翌年の宝塚記念はテイエムオペラオーが勝ってグラスワンダーは6着、また絶望。そしてグラスは骨折で引退。あーあ……と思っていたら秋もテイエムオペラオーが勝ちまくるので気付けばこれを追いかけている。
初めての馬券
ちなみに、まだこの時点で馬券は一度も買ってません。競馬好きってだけで周りの友達は普通に俺が馬券を買っていると思っていたらしいけど、まだマークシートに書いて券売機で買うなんてことさえ知らなかったもん。窓口のおばちゃんに「3-4を1000円ね」とかやるんだと思ってた。
そんなわたしが初めて馬券を買ったのは2001年の宝塚記念だった。馬券買ってレースを見るとこんなにドキドキするのか、と当時は思ったもんだよ。
何買ったと思う?ステイゴールドの単勝だよ(4着)。もう最初の最初からセンスがねえんだよ俺は。なにステイゴールドの単勝でドキドキしてんだよ。
自分で初めて競馬場で馬券を買ったのは第1回JBC、大井とは別の地方競馬の場外発売にて。初的中はブロードアピールの複勝(2着)だった。たぶん1.3倍を300円、とかそんなんだったと思う。かわいいでしょ。
その翌週、東京競馬場に初めて生のレースを見に行った。勢いに乗ってますねぇ。一緒に行ったのは、かつて一緒にウイニングポストをやっていた友達だった。
直線でムチを打つ音が聞こえてきて、迫力がすごかったなぁ。なぜか途中から近くにいた競馬オヤジ数名と一緒に見るようになって、その中の一人がワイド3頭ボックスで1-2-3着を当ててた。やっぱ競馬オヤジはすげー、と思ったこともよく覚えてる。
投げやりから夢中へ
朝からずっと小雨で寒いわ、歩きっ放しで疲れるわ、馬券は全部ハズレるわで「やっぱ俺ギャンブル向いてねーわ、もうやらねー」ってめっちゃテンション下がってた。
最終レース後に財布に残った1000円、これを最後の馬券にしよう、かな・・・。って翌日のG1エリザベス女王杯の前売りを買おうとするんだけど、何の馬券を買うか迷いに迷う。
トゥザヴィクトリーが好きだったからそこから買うのは決まっていて、相手にティコティコタックかローズバドか……。これ、本当にかなり迷ったんだよね。
単勝じゃダメだったのか? 500円ずつ2点買うという発想はなかったのか?
当日の馬券が当たらなすぎてヤケになっていたのか、今となってはわからない。ひとつ言えるのは、最後にする!とか言いながら本気で悩んでる時点でもうダメなんだよ、お前は。
券売機に千円札を入れて、トゥザヴィクトリー ― ティコティコタックの馬連(7-13)一点を記入したマークシートを入れて、出てきた馬券を財布にしまう。朝のうちに買っておいた帰りの切符を改札機に通して電車に乗り、友達とメシも食わずに帰った。
翌日。
今日俺が競馬好きでいるのは、このレースがあったからだと思っている。
最後の直線残り200mで、買っていた2頭が同時に伸びてきた時は、これはもらったと思った。うわー!やった!マジか!
・・・外から来るんですよ、買ってないほうのローズバドが。いやいやいやいや、来んな来んな来んな、やめろやめろやめろ。ちょうど並んだところでゴール。めちゃくちゃきわどい。
うわー、どっちだ、いやー、ティコティコ残って・・・いやー、どうだろう、いやー、うーん、わかんねーなぁ。どっちだ・・・?
結果はトゥザヴィクトリー1着、ローズバド2着、ティコティコタック3着。いやー、悔しかったね。
好きな馬から買って応援する楽しさ、そしてその馬が勝つ嬉しさ、馬券を買うことによるゴール前の興奮の大きさ、あと一歩頑張れば俺も馬券を当てられるという思い。
でももしあの馬券が当たっていたら、今とは競馬に対するスタンスが少し変わっていたかもしれないとさえ思う。外れたけれど、買ってよかった。
一喜一憂の始まり
結局この2週後、JCダートの日にまた東京競馬場に行って、クロフネのぶっちぎりの圧勝を生で見て大興奮。
さらにその2週後には香港で日本馬がG1・3連勝。引退レースでステイゴールドがG1勝つのをラジオ中継で聞いて、死ぬほど喜ぶ。
テイエムオペラオーのラストランとなった有馬記念も中山競馬場に行き、王者の力ない負け方を生で見て絶句する。
クロフネ故障で引退発表。
という様々な浮き沈みを経て、今に至る。
などと供述しており、現在のところ動機は不明です。