読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

母父トニービン

明るいところで読んでね

そして大体オチはない

 

 

春秋-日本経済新聞

 

推理物が盛んな国には特徴が2つある。理の重視と人権意識の浸透だ。

独裁者や公権力が問答無用で怪しげなやつを捕らえ、拷問で「自白」させる社会に名探偵の出番はない。

 

なるほどなー。まぁそれはそれで別の物語になりそうではあるけれど。

 

推理小説ってたぶん金田一少年の小説版くらいしか読んだことないんじゃないかなぁ。読もうと思わないのはその面白さを知らないからだろうというのはわかるけど、楽しみ方もきっといろいろあるはず。

しかし「事あるごとに被害者といがみ合っていた荒くれ者のあいつが怪しいと見せかけて・・・大どんでん返し!被害者の仲間だったいつも優しいこいつがまさかの真犯人でしたー!」なんてのを見ると毎回馬鹿らしくなる。そのひっかけをやるためにあいつを荒くれ者キャラにして真犯人を優しいキャラにしたのかよ、と思ってしまう。物語の中で、当て馬としての存在意義しかない人物が出てくるのがどうしても嫌なんだ。推理ものはそういう登場人物が多そう、という偏見がある。

 

あのギリギリチョップ願い事ひとつだけ少年も単行本の第1巻読んでつまんなかったからそれ以降まったく触れてない。読んでても謎なんか解けっこないんだもん。あとアニメの子供の時の声、というか「あれぇ~?おじさんなんで左の靴のつま先だけ汚れてるの~?」って喋り方がむかつく。いま"子供の時の"って言ったけど、たまに大人に戻ったりすんのかなあの少年。

古畑任三郎は見た。ん、そんなに見たか?いやほとんど見てない。今夜はとってもヒヤシンス、明日は雪がフリージア、の回しか知らない。あの回だけ繰り返し何度も見た。あれ最後に栄養ドリンクの瓶が冷たかったって話をするのがすごくいいんだけどどうですか。最後にちゃんと言うのすごく良くないですか。

 

そういえば親がポワロとかコロンボとかよく見てたなぁ。そのどちらかは先に犯人がわかっていて謎を解いて犯人を追い詰める様子を見て楽しむ古畑型で、もう片方はだんだん手がかりが見つかっていって最後に犯人がわかる金田一少年型らしい。おそらく古畑型のほうが俺には合うと思う。20世紀少年のような引っ張られ方は疲れるもん。

あと「この間こういうことがあったんだよ、俺はあれをしていて、これこれこうなって・・・それを見ていた人がこう言って・・・その人の言い方がけっこうキツくて・・・」みたいなゴールが見えない話し方されるのも苦手。あれ自分の話の一字一句を全部聞いてもらえるもんだと思ってるんだろうか。話し手の言いたいこと・要点が何かを推理しながら話を聞くのはとても疲れる。そして大体オチはない。ほんと苦手。サファテ。