母父トニービン

明るいところで読んでね

考えないという選択肢

 
 
 
まあ毎日書こうと思ったら多少なりとも"負荷"になるんだろうなー。毎日更新することが目的なのかよくわかんないけど、ルーティンに乗せれば自然と考える癖がつく、ということなんだろうか。それは純粋にいいことだと思う。いいことだと思うけど俺はあんまりやりたくない。食事は朝昼晩全て自炊するのが健康的にも経済的にもいいと思うけどやりたくないのと一緒。毎日考えて書いて更新することが目的になると、俺の場合すげー暇な日に4つくらい更新しといて「やったこれであと3日サボれるスプラトゥーンやろう」とかなりそう。サボり3日目に「あー明日からまた書かなきゃ」って憂鬱になりそう。
俺もなんとなく何日も続けて書いてる時もあるけど、「書かない」という選択肢を持っているのはけっこう強いのかも、と思った。けっこう強い、の意味はよくわからん。つまり「考えない」という選択肢。だってめんどくさいじゃんブログとか。ふと思ったこと・気付いたことを書こうとしても、入力してる途中で話や論点が変わってきたりオチを見失ったりするから、まず最初に思った通りに書けることはない。でもまあそれがまた良い場合もけっこうあるよね。
そうそうモーツァルトの書いた楽譜ってすげー適当で雑らしいね。思いついたことを譜面に落としてる間に次がどんどん浮かんできちゃって、あー残さなきゃ、あーでも今思いついたやつ相当いい感じだなこれも書いとかないと、あーだめだもう次思いついた、ってなっていちいち細かく書いてらんないんだろうな。
 

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ものすごく「考え」があふれることが、たまにある。

だが、そうして考えたことはその場限りで消えていく。

なかなか自分の考えとして残っていかない。

頭の中を自動書記してくれる機械がほしい。

 

たまにある。ほしい。

 

うーん、思ったことをなるべく思ったとおりに文章にするなら「自分の型」を作ったほうが楽だし早いし「完成」までストレスなく進んでいくのは間違いないだろうな。

「思ったことを書く」と「書きながら考える」のってたぶん全然違うんだよな。紐付いてんのはよくわかるけど別物だわ。今気付いた。そんで俺たぶん7:3で前者っぽい。ブログ書く前は10:0だったから、ブログ書くようになってその「3」を手に入れたのかもしれない。これは今書きながら考えて気付いたことだ。比率の問題だから、10:0が7:3になったのは比率の話で総量は増えた、えーとこういうこと。

 

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うーん。文章を書くようになって読む機会も増えたし、もしかしたら紫の部分も増えたかもしれない。逆に減ったかもしれない。ブログ書く前をあんまり覚えていない。
あーそれと水色に関しては人と話しながら考えを深めたりする部分を考慮に入れていないな。どうなんだろ。でも考えを深めることを目的に人と話すのってあんまりないよなぁ。
っていうかなんでもいいわ。知らん。そんなこといちいち考えなくてよろしい。
 
 
型か。型ねぇ。あんまり考えたことないなぁ。書いて「これでいいや」ってすることが多いからかも。もし俺のブログに型を見出すならば「ひとつの記事に、日常的に思ったいくつかのことを少しずつ書く」なのかな。少し書いて3行くらい空けてまた別のことを少し書いて、ってやつ。あれが書きやすいんじゃなくて、なんかああなっちゃう。日記とはちょっと違う気がする。
 
嘘だと思うのなら、過去記事を遡ってみてください。
 
嘘だと思う奴いるのかな。なんかうける。