母父トニービン

明るいところで読んでね

にんじゃりばんばんはすげー適当に終わる

 
にんじゃりばんばん聴きながら舞い散る桜を眺めるのもなかなかオツなもんだね。
 
 
いいですねー。音を楽しむと書いて音楽ですよ。
メロディ、リズム、ハーモニー、このみっつが音楽の3要素といわれてるけど、メロディとリズムは満点だよねこの曲。ハーモニーが何点なのかは知らん。音楽は算数じゃねえんだよ調子乗んな。
 
まずこのイントロ。舞台の緞帳がだんだん上がってく感じ。
そこから歌い出しの「鮮やかに」で一気に高まるよね何かが。なにか気持ちのアレが。機運が。
ワンコーラスの構成としてはAメロとサビしかないんだけど、またこのAメロがサビに繋げるためにあるような感じがする。
ご飯とおかずの関係みたいなもんで、本当はずっとおかずだけ食っていたいんだけど一度ご飯を食べることによって次のおかずがまた美味しく食べられる。サビに慣れてくるとAメロが欲しくなってくるので、「むしろごはんがおかずだよ」説にも頷ける部分がある。
そんで最後はすげー適当に終わる。
まあ別に終わる必要ないと思うんだよねこの曲。便宜上の都合ってものがあるから一応終わらせてるだけだと思うよ。2番の終わりに1番のAメロ繋げてループさせ続けても絶対みんなしばらく気付かない。
 
歌詞は読もうとすれば意味は読める。2番のAメロで少しそういう方向に気分が向かうけど、サビを迎えた途端にやっぱいいやってなる。
意味や意義を強要してこないというか。にんじゃりばんばんに対義語は存在しないわけですよ。正も否もない、そういうところから解放されるようななんでもない歌詞。そりゃ花びらも舞いますよ。
抽象的な歌詞の曲ってのはいろんな解釈ができるから、いろんな心情の時に寄り添ってくれるのがまたいいよね。この曲がそうなのかは知らん。
 
そうそうこの人、ちょいちょい歌詞が聞き取れないんだよ。「ふんわり煙に巻き」が全然わからなかった。サビの「常識を変えたら 驚きが日常に」も歌詞カード見るまでわからなかった。
ファッションモンスターなんて肝心の歌い出しが聞き取れなかったもん。「面白いって」には全く聞こえなかった。
出来上がったメロディに後から歌詞を当て嵌めてできた(であろう)曲はこういうことがたまにあるしこの人の曲もそうなんだろうけど、この人はそういう問題じゃないような気がする。
なんだろ。自分のキャラクターの歌い方とかを優先させてんのかな。あんまり滑舌が良いとキャラに合わない、みたいな。アイドルとしての意義ほうが歌手としての意義よりも高い・・・のは割と昔からそうか。
 
 
オリンピックで神宮球場を使わせろ問題を見て、いきなり通達があったひどくねみたいな報道だけどどうすりゃいきなりじゃないんだろ。
昔の東京オリンピックだったら「必要ならどうぞ使って下さい」ってことになりそうなもんだけど。っていうかむしろオリンピックで使用されるのは名誉なことだしたった1年くらい学生は国のために我慢しなさい、とか言いそう。
価値観が多様化するのは良いことだと思うけどそれはそれで大変ね。
音楽好きなやつ集まれー!っつってみんなニコニコして集まっても、2時間くらい経ったらPerfumeを好きなやつがきゃりーぱみゅぱみゅを非難してたりするかもしれないよ。
LUNA SEA好き同士で集まっても、アルバムごとに派閥ができたりして特にMOTHER信者とSTYLE信者はなにかが決定的に分かれそう。あと「SHINE派はLUNA SEAの本質をわかっていない」とか言う奴いそう。そういうこと言うのはきっとIMAGE派。
 
 
明日の桜花賞はメジャーエンブレムが走る。
やっぱり牝馬桜花賞だろうと思うんだけど、ここは負けられないとか勝つに決まってるとかそういうことは特に思わないな。この馬についてそんなことを考えるのは野暮なのかもしれない。
ただ、明日のレース内容次第で次にどこを走るか変わってくるの可能性があるので、そこは注目してる。他の馬に用はない。
競馬ファンとしてはナリタブライアンをリアルタイムで知らないんだけど、当時のナリタブライアンファンはこういう気持ちだったのかなーと想像している。当時は競馬自体に人気があってもっと盛り上がってたんだろうけどね。