母父トニービン

明るいところで読んでね

然るべき人が、然るべき場所で、然るべき言葉を語る

 
 
 
大統領が広島を訪れるという報道を見た当初は、ついに・・・と心が和らぐも部分もある一方で、現職の米国大統領は過去70年の間、誰一人として訪れていなかったという事実を再認識した。
また、いくら自国内向けとはいえ「今回の訪問は謝罪ではない」と執拗に繰り返す米国政府側に強情さを感じる部分もあったし、任期終盤の功績作りだろうとする報道に頷ける部分がないわけではなかった。
 
 
当日、献花と演説をする姿を映像で見たのは夜のニュース番組だった。
そよ風の吹いている、静かな場所。穏やかなスピーチだった。
よくわからないが、見ていてじわじわと涙が出てきた。それは一人の日本人としての涙だったのか、人類の一員としての涙だったのか、よくわからない。
「然るべき人が、然るべき場所で、然るべき言葉を語る」というのはこれほど大きな意義があり、何よりとても素晴らしいことなのだ、と気付かされた。
 
 
大統領の訪問を、静かに、優しく迎えた広島の人々に対して、勝手に"同じ日本人として誇りを感じる"ようなことはなかった。ただ遠巻きに、しかし純粋に、「広島の人達は偉いなぁ」と感じた。
だが、あの態度は"大人の対応"というそれではなく、"日本人の対応"であったことは間違いないのだ。「グローバル化」とは一体何を指す言葉なのだろう。
 
 
番組中に、印象的なインタビューがふたつあった。
 
当日朝、大統領を待つ笹森恵子さん
「懐かしい人に会うのを待っているような気持ちでいます」
 
長崎の年配の女性
「なんで泣いているのかわかりませんが、とにかくうれしいです。大統領の心の底まではさすがにわかりませんが」
 
 
We see these stories in the Hibakusha: the woman who forgave the pilot who flew the plane that dropped the atomic bomb because she recognized what she really hated was war itself; the man who sought out families of Americans killed here because he believed their loss was equal to his own.
 
The world was forever changed here, but today the children of this city will go through their day in peace.
What a precious thing that is. It is worth protecting and then extending to every child.
That is a future we can choose, a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare, but as the start of our own moral awakening.
 
 
後任候補ちょっとアレだからもう1期やってくんねぇかなぁ。