あぁ俺、文章書いててよかったなーって思うことがたまーにあって、自分の感じたことを過不足なく書き表せたつもりになれた時に、そういうことを思ったりする。
でも文章力の筋トレと重量上げが目的で書いてるわけじゃないし、なんでも書き表せることがいいことなのかよくわからない。よかったなってのはたまに感じられるからいいものなのかもしれない。
起こった事象とその構造、発生した感情、先の展望なんかをなんでも言語化して人に伝えられる人ってすごいなーと思うけど、そこまで羨ましく思ってはいない。なるべく齟齬を生じさせない言い回しは有用かもしれないけど重要とは考えていない。
これ言葉の選択合ってるんかいな、と思って類語を調べて書いたりってこともたまにはある。それでいくらか自分の使える言葉が増えて、ドラクエで新しい呪文覚えたぞわーいみたいな気持ちになる。人の文章を読んでると知らずにラーニングしてたりもする。
忘れないために書いてるようなところもあるかも。あれだ、忘備録。備忘録が本来らしい。俺も霧散への不安を感じている。霧散からの五里霧中を懸念している。霧どないやねん。
忘れないってよりもどっちかっていうと後で読んで思い出すためかもしれないな。忘れかけといて思い出したい。一人カラオケ一人焼肉に続いて一人うわーあったあったうんうん懐かしいねーですよ。あの感覚だか感情だかわからんけど気持ちいいよね。脳が活性化するんだろうか。
最近あんまり目にしなくなった言葉だけど自己顕示欲はあるんだろうか。承認欲求かもしれない。違いがよくわからない。まあ全くないってことはないんだろう。この人は自意識が殆どないのでは、って言われたことはあったな。自意識を感じる文章は自分で読んでウエッてなるから嫌なんだ。
まあ何かをするのに理由がひとつなんてことはそうそうないのかもな。扇風機つけるのだって涼みたいのと空気の循環をさせたいのとせっかく買ったからってのといろいろあるし。
要するにその時その時の気分で書いてんだな俺。一貫したもののない、質量の軽さを再認識した。むしろそれで毎回よく文章になるな。天才か。
どこかで思考を書き留めておかなければ、私が霧散してしまいそうで、だからこうして書いている。この文章に色はあるのか。ないか。