母父トニービン

明るいところで読んでね

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 ブログを書くフレンズのみんながどうなのか知らんけど、ブログって思い出やリアルタイムの感情を書き残しておく意味もあるじゃん。だからあんまり盛らないように書くのが大変なんだけどそれは置いておいて、出来事をブログに書いたことそれ自体が思い出になっててなんか面白い。

 今年ロゴタイプ安田記念で2着だった時に書いたやつを読み返したらそこそこ過不足なく書けてるっぽくて、ほうほうと思って次に去年ロゴタイプ安田記念勝った時に書いたやつを読んだら全然面白くなかった。それで、そうそうこの時嬉しすぎてぜんぜん面白く書けなかったんだよな、っていう思い出になってんの。

 アレと似てるよね。忘れないようにメモを取ったのに、書いたからなんか覚えちゃってメモ見なくても思い出せるみたいなやつ。

 

 シービスケットの映画見た。

 なんか前半の導入部分のほうが面白かったな。後半は、あー復帰するんだ、あー勝つんだ、あー終わるんだ、って感じで淡々と見てた。なんか全体的にわかりやすすぎたのかもしれない。「アメリカってほんとこういうの好きよねぇ」とか言いたくなっちゃう感じ。でもあのマッチレースでラジオ実況から始まるとこはめちゃくちゃよかった。

 右眼見えないやつが右脚悪いままレースに乗るとか絶対だめだろ・・・なんかあったら誰が面倒見るのよ・・・ってのが引っ掛かったまま話が終わっちゃったところもある。映画館で見てればレースシーンの迫力とか爽快感なんかも感じられたんだろうけどなー。

 全体的によく作ってあるなーと思ったけど、たぶんこれ競馬をよく知らないほうが楽しめるのかもしれないなーという気がする。どのへんでそう思ったのかはわからん。まあ競走馬の怪我と復帰を人間の挫折と栄光に重ねるもんじゃないとは思う。

 これって競走馬とその周りの人々のお話っていうのだけじゃなくて、大衆が馬に情熱を賭けた時代があった、っていう昔話的な部分もあるじゃん。ハイセイコーとかもこういう感じだったのかね。あれは不況じゃないけど。

 俺はサトミアマゾンに感動したなぁ。あーでも皐月ダービーとコスモバルク買ってたわ。ちなみにその年のNHKマイルカップキングカメハメハメイショウボーラーから3連複流して当てたのに配当が安かった。

 

 明日花咲徳栄がんばってほしい。

 

 生きづらさってなんだろう。よく「若者の生きづらさ」みたいなタイトル見かけるけど生きづらいってのがどういう感覚なのかちゃんとわかってないことに気付いた。辞書に載ってんのかな。

「生きづらさ」とは何か - 東大誰でも当事者研究サークル

 ぼんやりした不安ってことかな。僕の将来への。そういえば前に「自己責任」って言葉が蔓延した時はすごく息苦しさを感じたけど、あれが生きづらいってやつなのかもしれない。

 ところでこの前ユーチューブで2000年代ヒット曲メドレーみたいな動画を見たら、そこに出てきたある2~3年間くらいの曲はどれ聞いてもなんだか重苦しい気持ちになった。その期間はそういう心理状態で生きてたんだなー。それも自己責任なのか。

 

 腕時計をかわいいと思う感覚がよくわからない。だいたい同じに見える。と思ったけど腕に装着された状態を思い浮かべたらかわいいと思うこともあるかもしれないと思い直した。

 でもだいたい同じに見えてるとしたら時計より腕をかわいいと思ってるってことかな。いや腕がかわいいってなんだよ。なにこの考察。

 

 

 キーボードのバックスペースの隣の¥を何回か押すと全角ひらがなが勝手に解除される意味がわからん。