母父トニービン

明るいところで読んでね

エモくねぇよ

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 俺も10年以上前からずっとこの言葉クソだなと本気で思い続けて今に至るんですよ。でもまあそれなりには大人になってきて、シューティングゲームでムキになってザコ敵を全部倒そうとしなくなるように、いろんな腹立つことからは目を逸らすこともできるようになってきた。

 でもここまできっちり言語化されたものを読んでしまうと、静かだった古池にでっかい石を投げ込まれたような感じで底に溜まっていた鬱憤が蘇ってきてしまった。

 そうなんだよ何も言ってねえんだよこの言葉。何も言ってないくせに相手になるべく多くを感じさせようとする、言ってみりゃ身勝手な一方通行のコスパだよな。何で聞く側が言った側の下請けにならなきゃいけねえんだよ。

 そうやって何食わぬ顔で中身の無い言葉を投げつけといて、相手に無意味に揺さぶりをかけてくるのがなんていうかとても卑怯だ。若者の言うヤバイやOLの言うかわいいは雰囲気だけだからいいけどこの言葉はそれ以上の何かを押し付けてくるよな。和牛に漫才でネタにしてほしい。

 それに引き替え反町隆史の「こんな世の中じゃ POISON」の潔さよ。何が言いたいのかピンとこないしまた逆に何とでも取れるんだけど、それでいてこちらから本人の意図を察しようという気持ちに全くさせないから大したもんだ。ん?何か言ってるけどまあいいか、っつって。

 

「エモくない?」じゃねぇんだよ。なにがだよ。エモくねぇよ。

 

 これに尽きるわ。エモくねぇよ。これ以上の反論はない。

 それと引用した元の文章のオチの付け方、誰だってそう僕だってそうなんだみたいな流れで終わるのはさすがミスチルファンだなって感じがした。きっちりそれを狙って決めたのか、それともファンすぎてそういう書き方がもうキーボードに染み付いてるのか。

 

 

 すんげえ昔にどっかの知らない高校に入学する夢を見たことがあった。21世紀に入るより前のような気もするし、もっと大人になってから見た夢のような気もする。なにせ夢なので現実の時間感覚が通用しないし辻褄も合いようがない。

 そんで、つい何日か前に、その知らない高校を卒業する夢を見た。起き抜けのぼんやりした頭にも、これはあの時に夢で見た高校だなという確たる認識があった。表の校門からだと駅まで遠回りだから普段は裏門から下校してるんだけど、卒業式だから校門から出るみたいな細かいストーリーがあった。

 なんか短編小説みたいな体験だったな。まあ不思議な体験ではあったけど、いい夢を見た朝のしばらく尾を引く心地良さみたいのは全然なかった。あの・・・先輩の第2ボタンくださいっ!とかなかったしな。

 

 

そして誰もいなくなった』読んだ。見事に誰もいなくなってた。ところで文頭にかぎかっこが来た場合は一字下げをしないらしいんだけど、会話じゃなくてもそうなのかな。ちゃんとしたルールがわからん。

 読みながら「あぁ、そういうことか!ってことは犯人は・・・」って思わされるのにちょっと話が進むと「いや違うわ、こいつだけはないな」って全く変わるのが楽しかった。のめり込んで一日で読んだ。登場人物が多いから日が空いたりすると外国人の名前はすぐわかんなくなるしね。

 トリックなんかは全然わからなかったし答え合わせ読んでもなんやねんそれって感じだった。なんかあれなんだって、翻訳されたものを読むと作家の意図する人物同士の心の変化とかが見えづらくなるから犯人を当てられる確率がすごく下がるんだって。確かにバーローが翻訳されたらニュアンスだいぶ変わるだろうね。

 コナンは友達の家で開いた一巻で袖にパンくずがどうのとか言ってるの見てうわーおもしろくねぇーと思って以来触れてないので、よく考えたら本当にバーローって言うのかどうか知らないわ。未来少年のほうは全部見て面白かった。

 うーん、これはまあ言ってもしょうがないことなんだけど、この作品が世に出た時代は読んだ人の衝撃とかも凄かったんだろうなーとも思うんだけど、今読むとなんつーのかな、犯人の感情とかも若干見慣れたものになっていて妙に納得できてしまうというか、終わり方なんかも物足りないわけじゃないけど、21世紀にクライフターン見てもそんなに感動しないみたいな気分になってしまった。

 今の俺はコント55号よりもメイプル超合金のほうを圧倒的に面白がるけど、だからってそれをもってまさか欽ちゃんより上だとは思わない。と言って、コント55号のネタを見てもそんなにゲラゲラは笑えない。ベタの祖の味わい方って難しいね。そう考えると落語とかが面白いのってはすごいなぁ。

 

 最近「このツイートをリツイートした上で何々するとなんか当たる!」みたいなのばっかりになってきてむかつく