母父トニービン

明るいところで読んでね

平和賞と悲しみ、本とペンと幸せ

 

この間ノーベル賞の授賞式が行われ、平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんがスピーチをした。

 


マララ・ユサフザイさんノーベル賞受賞スピーチ全文「なぜ戦車をつくることは簡単で、学校を建てることは難しいのか」

 

これには俺を含む多くの人が感銘を受けた。

 

 

が、しかし、パキスタン国内やイスラム圏の女性達は彼女のことをどう思ってるんだろう?

ふと、そんなことを考えてしまった。

 

自分が生まれた土地でずっと昔から続いている風習や宗教観があって、それについてはたしかに疑問を持つこともあるけれど、この連綿と続いてきた流れに従って生きることもまた真理なのではないか。

こういう保守的な考え方を持つ人もけっこういるんじゃないのか。

ある程度の水準の教育を受け吟味をできるようになった上で、いくつかの中から好きな生き方を選べるのがベストなのは確かだが。

 

しかし時代劇や大河ドラマでも保守的な考えや行動を美徳とする描写はいくつもあるし、現にそれを見て現代人が心を動かされたりしているわけだし。

「進むグローバル化」なんていうと世界が近づく素晴らしいことだという感じがするけれど、世界標準に歩み寄るということは裏を返せば各国の個性を薄めるもの、伝統を揺さぶるものとも言えるわけで。

 

なんてことを思ったんだけど、今回の件に関しては俺の考えが甘かった。

 

教育編 | 池上彰が明かす! イスラムビジネス入門 パキスタン編

 

池上彰、すごいなぁ。伝えようという姿勢がすごい。伝わる。

 

こういう変化も、見る人によっては「西洋文化に毒されてる」ようにも見えるんだろうなぁ。

江戸末期~明治にかけて大きく変わってゆく日本にあって、変わることを拒みながら慎ましく幸せに暮らして人生を終えていった人も多くいたのではないだろうか、と思うと少しその考えも納得できるといえばできる。

 

 保守と革新。

 

前に書いた文章(読み返してない)


この前のノーベル平和賞で思ったこと - 母父トニービン

 

  

・・・というところまで下書きをしてあって、突然、タリバーンパキスタン(TTP)による学校襲撃事件が起こってしまった。

 

ノーベル賞の授賞式から何日も経たないうちに起きた(起こした)ので、俺はどうしてもそこにつなげて考えてしまう。マララさんを撃ったのも同じTTPだし。

 

そうなると被害にあった子供らの親は「ノーベル賞とか話題に出すから、あんなスピーチなんかで刺激するから、うちの子がこんな目に合ったんだ!何が平和賞だ!」ってなるかもしれない。

子供を持つ親にとって子供は全てで、それを失った原因は何かと辿っていった時にやっぱりマララさんに行き着いてしまう人もいると思う。

 

タリバーンもそこまで含んで今回の行動を起こした可能性は充分考えられる。

そうすれば「反マララ」を煽れるんじゃないか、なんて。

 

じゃあ本当にマララさんのせいなのか。違う。

 

マララさんはこう言った。

 

無学、貧困、そしてテロリズムと戦いましょう。

 

本を手に取り、ペンを握りましょう。

 

それが私達にとって最も強力な武器なのです。

 

 

しかし今回、大勢の子供が武力・暴力によって命を落とした。悲しい。

現実的には、瞬間的には、本もペンも子供達を守ってはくれなかった。

 

でも、それでも、マララさんのせいじゃない・・・と言い切れるのだろうか、わからない。

しかしマララさんがいなくても同種の事件はいつか起きていただろうし(今回は別件の報復が主な理由とのこと)、マララさんの訴えによって少しずつでもこの先きっと変わってゆくんじゃないかな。

 

ただ、それでも、明るい未来も20年後の世界も、実際に子を亡くした親の憤りを鎮めることはきっとできない。どうすればいいんだろう。

このような事件を根絶するために、本とペンが要るのだけれど・・・。

 


16歳の女の子が語った「勉強することの意味」 - いつか電池がきれるまで

 

俺は結局保守的な人間な気がしてるんだけど、それは平和な日本で暮らしていればこそなのであって、ほんとに何が幸せなのかなぁ、と考えてしまうね。