この動画を見ていいなぁと思った格言がいくつもあったので、文字を読む動画の内容を改めて文字に起こすという意味が有るのか無いのかわからないことをやってみます。
動画で見るのもいいけれど、文字に起こして読んでみるのも多少は意味あるんじゃないですかね。まあ別にどっちでもいいです。
自分の考えたとおりに生きなければならない。
そうでないと、自分が生きたとおりに考えてしまう。
―ブールジュ
人生は一冊の書物に似ている。
馬鹿者たちはそれはパラパラとめくっているが、賢い人間はそれを念入りに読む。
なぜなら、彼はただ一度しかそれを読むことが出来ないのを知っているから。
―ジョン・パウル
人生に執着する理由がないものほど、人生にしがみつく。
あまり道徳的になるな。
自分をあざむいて人生を台無しにしてしまう。
―ヘンリー・ディビッド・ソロー
人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし、心に望み起らば困窮したるときを思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え、
勝つことばかり知りて、負けることを知らざれば、害その身に至る。
己を責めて人を責めるな、及ばざるは過ぎたるより勝れり。
―徳川家康
心が変われば、態度が変わる。
態度が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
運命が変われば、人生が変わる。
―ヒンズー教の教え
一生を終えて後に残るのは、
我々が集めたものではなくて、
我々が与えたものである。
―ジェラール・シャンドリ
格言ひとつにつき思ったことを一言ずつ書いてみようかと思ったけどこれ書いてる瞬間の解釈と次に読んだ時の解釈は変わるだろうから迷って結局やめました。
書き残しておくと今度読み返した時に書いた当時との自分の変化に気付けたりする場合もあるからいいんだけど、同じ言葉で別の解釈をしたとしても空耳アワーみたいに意識が文章のほうに寄っちゃう(寄せちゃう)気がするので今回はやめとこうと。
じゃあ何でこの文章書いてんだ。自分が書きたくて文章書いてんのに文章にしない理由を文章で書くってもうなんなんですかね。
なんかそういうことを書いた文章を昨日今日あたりに読んだなーと思って考えたらこれだった。
私はいったいどっちだったっけ? と思ったが思い出せない。どちらでもなかった気がする。そのときの文章を読み返せばいいのだが、読み返したところで、それは何の担保にもならない。私の中に一貫したものはない。あるのかもしれないが、そういうのはできるだけ少なくして身軽にしておいた方が良い、と思う。
結果、ただのタイピングの練習になりました。
よく「書くと覚える」っていうけどタイピングは全然だめだということがわかった。
こういう格言・名言みたいなやつって同じ言葉でも「あぁ、本当にそうだよなぁ」って心に響くこともあれば「お前それは違うだろ」って時もあれば「一理ある」で済ませる時もあるじゃん。俺B型だから余計そうなのかもしれないけど。どれが響いてどれが響かないのかはその時に感じ考えているものによって変わるじゃん。
だから自己啓発本とかそういうのに書いてある言葉が自分に響く時はそもそも自分がそこへ意識が向いているはずだろうし、どうも納得できなかったり言いたいことはわかっても実際のところはさぁとか思う時はそっちの時期じゃないってことなので少なくとも俺はそういうの読んでもあんまり意味がなさそうと思ってる。
でもよく考えたら俺は自己啓発本というものを読んだことがない。10年くらい前に今より10年くらい若かった俺は友達の家で暇だった時にパラパラめくって「俺はこういうのいいや、何かを見つける楽しみを奪われるような感じがする」って本棚に戻して以来読もうとしたことすらないんだけど今読むと面白いのかな。
ん?っていうか自己啓発って何だよ。松岡修造の動画見るだけじゃだめなのかな。
たまにこれ見ると凄くいい。
「うるせーな、ゴチャゴチャ言わずに一生懸命やれよバカ野郎、やりゃあできんだよやりゃあ」って具体性も理も一切ない説教する人って他にいないじゃん。
こういうのがリーダーシップなんじゃないだろうか、と思ったりもする。
「人生を前向きに生きるために覚えておきたい、世界の格言7つ」とかそういうタイトルにしたら見に来てくれる人が増えるのかなー、と頭の片隅でぼんやり思いました。
乙