母父トニービン

明るいところで読んでね

新緑の公園

 

連休のどこかで必ず公園で読書をしようと決めていたので、いや決めていたのでってことはないが「あっ今日やろう」ってな気分と天気と暇が一致したので、今日は家から歩いて15分ほどの距離にある公園へ行ってきた。

歩いて15分って遠いうちに入るのかな。俺は歩くの嫌いじゃないから普通なんだけど。自転車持ってないし。

 

家を出る時にシャツを羽織るか薄手のパーカーを羽織るか迷ったが、帰りのことを考えてパーカーにしたが家を出て最初の信号を渡ったところで後悔した。

その時点でパーカーが少し暑いのは承知の上だったが、シャツのほうが風通しがあるので着ている時の気持ち良さが全く違う。

思っていた以上に風が抜けていかない。今の時季に風が抜けない服を着るというのはこの季節に逆らうことに他ならないと思う。

 

大通りに出てコンビニに寄ってアイスを買い、食べながら公園へとしばらくまっすぐに歩き、赤信号で止まる。

ふと振り返ると空が綺麗だった。

薄い雲や厚い雲が混在していて、「綺麗な空」で検索しても出てこないような、平凡な空。

この通りはこんなに広くて開放的だったんだな。知らなかった。今までどう見えていたんだろう。

 

公園の手前でまたコンビニに入り、お茶とポイフルを買った。

角を曲がり、公園に入る。植え込みにたくさん花が咲いている。

桜もそうだが花というのはあまりにもびっしりと咲くので、時々その「真っ直ぐで節操のない生への執着」に恐怖を感じることがある。

 

いつも座るベンチは公園に入ってすぐ脇にある。ここは木陰になっていて、いつも空いている。

そこに腰掛けて本を開き、ポイフルを食べる。

 

すぐに鳩が寄ってきたのでひとつ投げてみるが、鳩はポイフルは食べないらしい。なら来んな。

そして読書を始める。

 

 

公園にいることが気持ち良すぎて、いまいち読書に集中できない。いや、読書が全ての目的ではないのでこれでいい、と公園の中で初夏のひかりを感じる。

少し読んではきょろきょろしてお茶を飲み、散歩している犬を見ながら伸びをしてまた読む。

 

その小説はいくつかの章に分かれていて、ある章では女子高生が主役だ。同じクラスの好きな人に彼女がいるのを知って、悟られないように肩を落とす。そこで「春の小川はさらさらゆくよ」が流れてきた。

5時になったのだ。

同時に木々がざわめく。少し肌寒い風だ。

やはり今日はシャツを着てくるべきだった、と思いながらまた読み始める。

 

結局たいして厚みのない小説を半分くらいまでしか読めなかったが、暗くなる前にもうひと散歩と思って6時過ぎには切り上げた。

そういえばこの公園の名前知らないな。

 

なんとなく写真を撮った。ちょうど1年前もよくスマホで写真撮ってたな。

新緑の時季には写真が撮りたくなるのだろうか。これも季節の喜びの表現のひとつかもしれない。

 

f:id:kwchn:20150504231143j:plain

f:id:kwchn:20150504231144j:plain

f:id:kwchn:20150504231145j:plain

f:id:kwchn:20150504231146j:plain

f:id:kwchn:20150504231147j:plain

f:id:kwchn:20150504231148j:plain