母父トニービン

明るいところで読んでね

ひとり交換日記

 
少し前に、自分の好きなものを軽々しく扱った文章に対してわざわざ言及を入れた上で、そこに書かれた内容全てに対して否定をし、猛烈な嫌悪を吐き出して終わる、という救いのない文章を目にした。
きちんと読めば細かいフォロー等が散りばめられていたのかもしれないが、少なくともそれが目には入ってこないほど怒りが前面に出た文章だった。それだけ我慢ならなかったんだろう、というのはよく伝わってきた。
 
怒りを表明する意図で書かれた文章には何か魔物でも潜んでいるのだろうか。
それに触れたことによって、「書いておこうか」という事柄があっても「書こう」と思えなくなり、脳とキーボードの間隔が一時期よりも広がっている。
 
「個々でブログの使い方も、書く内容も異なる。人それぞれ」というだけの話なのだが、自分のこれまでの気ままなブログの書き方なども、インターネットが完全に許容することはないだろう、と再認識した。してしまった。
 
静止した水面を作り出すことは難しいし、そうなりたいかと問われればそうだとは答えない。
風のない5月なんて意味がない。
まだ遠く先のことであってほしいが、いつか死ぬならばその時は5月がいい、と思った。
 
 
 
この人は本当に褒めることが好きだなぁと思う。褒めることそのものが好き、というよりは、称賛を一切惜しまない、が近いだろうか。

好きなニコニコ動画で打線組んだ - 母父トニービン」に引用スターをつけてきた時には、この人はかなりのものだ、と思った。

ブログタイトル通りの人だ。あなたが一番チューニング狂わせにきてませんか。
内容は勿論として、書き手に対してきちんと愛情を持って読んでいるのだろうと感じる。
本人がやりたくてやっていることなので、持ち上げるつもりはない。しかし、こういう人がいるのはとても良いことだ。
 
 
 
時折「インターネットに文章を書くことは、空き瓶に手紙を詰めて海に流すようなもの」という表現を見かけるが、手紙を海に流す感覚のほうが想像しにくい。
現実にあった行為なのだろうか、とさえ思う。
自分では「ひとり交換日記」のようなものだと考えているが。