なんか親戚の死をSNSに投稿しちゃいけないんだって。でもペットはいいんだって。インターネットがそう言ってた。
じゃあ力石徹はどうすんの。「葬儀行ってきた。まだ実感が沸かないが・・・合掌。」ってツイートしたら怒られるのかな。
「ヤツはもういない。減量で水も飲んでいなかったから、灰になるのも早かったろう。」は炎上するかな。
もし俺がそういう状況になった時にはどうするのかというと、どうするかわからない。そんなの今考えてもしょうがない。
そんなのブログに書くわけないぜベイベ、とは言い切れないもんね。なぜならいつもその時の気分でブログを書いてるからさ、子猫ちゃん。
ブログの燃料にするのはけしからんぞいみたいな意見もわかるけど、俺はブログを動かしているという感覚が薄いのでそういうのは歯止めにならなそうなんだよね。
とりあえずの心の置き所を作りたくて書くかもしれない。後藤浩輝が自殺した時はそうだったような気がする。俺のブログは心の置き所なのかもしれないな。
でも意識的にしろ無意識的にしろ、インターネットに置けないものは当然あると思う。
憧れのサマーソルトキックを出したいから土日のまる2日間家の中でずっとしゃがんで↓にタメてた、でも出せなかった、とかそういうのは書けないじゃん。本気だったらそれは書けないはずだ。
でもなー。「合掌。」はなめてるよなーさすがに。合掌って言葉はスマホのフリック入力で打ったのかな。片手じゃんかよ。指先ひとつでダウンかよお前。
写真付きで投稿したのもよくないポイントらしい。どんな写真なのかは見てないから知らん。
ところで「イヤホン壊れちゃったぁ~」って言いながら自撮りだけ載せたツイートに対する「いやイヤホン写せよ」ってツッコミは最高だったなぁ。文言に過不足がないもん。
麦チョコ食いながらこんないい加減なこと書くのも自由なんですよ。読むのも自由です。読んで憤りを感じるのも自由ですし賛同するのも自由。
ただし、「良記事。」とかコメントするのはダメです。人の記事に付いててもなんか腹立つからダメです。いやどうなのかな。ブックマークコメントの欄はみんなのものだと考えるとそれも自由かな。まあ使い方が人それぞれだからな。無言ブックマークに怯える人もいるかもしれないし。
言葉があるほうがどんな意図があるか見える気がするからみんな安心なのかもな。安心してどうすんだよ。まあ俺も最初は不安だった。その不安も今は忘れつつあるけど、安心はしてない。
自分の書いた記事がたくさん読まれて、それをどういう意図を持って書いたのか説明してた人がいて、そこに「相手を悪者にしないように書いた」って書いてあって、それ言わなくていいよと思ってしまった。
それを言うことによって相手が悪者で確定するんだよ。書いて自分で安心したいんだろうな。それも自由だ。だっふんだ。
そりゃあ俺だって、「あのとき戸崎が差し切ってれば20万だったのに!!」とか思うよ。2年も前のことだけど。でもそれは思っていてもインターネットで言わなくていい。