母父トニービン

明るいところで読んでね

塩野七生『ローマ人の物語』感想

 『ローマ人の物語』全巻読み終わったー。おもしろかったー。

 図書館で借りて読んでいったので、誰にもお金払ってない。それが悪いとかせこいとかまでは思ってないけど、じゃあせめてインターネットに感想くらいは置いておきますか、という感じですね。

 

 はてなブログで同じ塩野七生の『ギリシア人の物語』を見かけて、それを図書館で借りて読んでみたら面白くて、じゃあ次はローマのほうを読もうかな、と手に取ったのが最初だった。全部読み切るかってのは別にして、この巻数なら、面白ければしばらく何を読もうか困らなくて済むしね。

 そんな感じでたまたま読むことにしたけど、そもそも俺は古代ローマの歴史とかぜーんぜん知らんかった。『Civilization』ってゲームに出てくるユリウス・カエサルアウグストゥスの名前知ってるくらい。

 まあそれを良いほうに解釈すれば、「帝国が滅びる」以外はほぼネタバレなしで読めたってことですよ。読み終わってから振り返ると、そのあたりも楽しめた大きな要因だったなと思う。そういう感じで歴史の本を読むのに俺が丁度良かったのと、作家による叙述の面白さが俺に丁度良かった部分もある。

 

 そんで感想ね。うーん、感想ったって「本に対する感想」と「歴史に対する感想」でたぶん別になるよなぁ。まあ難しいことわかんないから歴史に関してはいいや。

 と言うか、この本の内容が史実として正解かどうかもわからないんだよ。読んでいても感じたんだけど、作家の主観的な解釈によって描かれている部分がそれなりの割合である。でも、それこそ作家本人の言う"歴史小説"だからこそ、きちんと自分なりの立場をとっている人の、主観が強めな文章のほうが読んでて面白いんだよね。

 

 死んでから100年後だろうが200年後だろうが、何かにつけて出てくる「カエサルだったらこう解決したはず! → 彼ったら本当に最高!天才!大好き!」の流れなんか、おいおいまた始まったぞー、と微笑ましくなる。この本の叙述では実際に最強の天才だったしなぁ。おかげで俺もカエサル好きになってしまった。

 それとキリスト教に対する、割と強めの皮肉なんかもけっこう笑えて面白い。けっこう言うんだこれが。そこは俺も特定の宗教に肩入れしてないから面白がれるのかもしれない。怒られたりしなかったのかねぇ。

 

 話の流れにやや強引さを感じたりとか、「~に違いない/~と思う」みたいな言い切れていない記述もしばしば見られるけど、途中からはもう「ほんまかいな〜」とか「いやそこは自信ないんかーい」とか突っ込みながら読んでた。

 作家もだいぶ書きたいように書いたんでしょう。だからこそ俺も読み切れたのかもしれない。別に俺だって一から十まで正確な事実を知りたいわけでもないもん。そんなに覚えてられるわけないし。今思うと、奇妙な利害の一致だったかもしれない。

 

 読書好きの人の言葉で、なるほどなー、と思ったものがありまして。

 

 本というものを読んでいてあらためて感じるのは「本というのは、『ダイジェスト』で内容をかいつまんで理解したつもりでも、あまり役に立たない」ということでもあるんですよね。

 むしろ、使われている言葉とか、たとえ話とかのような「ディテール」こそ、本質であり、他の本との「差」ではないか、という気がするのです。

【読書感想】教養としての聖書 ☆☆☆ - 琥珀色の戯言

 

 ねー。歴史叙述なんてのはまさにそうなのかもしれない。答案用紙の空欄さえ埋まればオッケー、というようなことはたぶんもうないと思うし。

 そういうわけでこの本は割とおおらかなテンションのまま読んでいける感じが楽しい。そういうのを「読みどころ」とまで言えるのかはわからん。

 なんていうか、ぜんぜん作家に対する褒め言葉にはなってないと思うけど、AIが書いたんじゃこういう文章にはならないんですよ。好きなんだろうなぁ、ってのがよく伝わる、いい本だった。司馬遼太郎とかも割とこういうノリなんでしょ。

 もしかしたら、すでに歴史に相当詳しい人にはこの本はあんまり合わないかもしれない。読んで批判的な感情を持つ人もけっこういそう。いやそうなると逆に「全員に合う本」ってなんだよ。エロ本だって合う合わないがあるのに。

 

 巻末の「引き」も良かったな。この巻もそろそろ終わるなー、と思いながら読んでると、最後の一文で「だが、平和でいられたのはこの年までであった」みたいな終わりするから。年に一冊ずつの刊行ペースなのに、この引きで1年間待つことになる塩野ファンはなかなか大変だったろう。

 4~5巻がカエサル編になっていて、4巻の巻末、南に向かってルビコン川を越えるぞってところで次の巻に繋げるのがめっちゃめちゃ熱い。「賽は投げられた!」のところなんて、兵士の気持ちになっちゃって拳を突き上げてうおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおって雄叫び上げそうになった。鳥肌立ったまま本を閉じたのをよく覚えてる。

 

 

 史実に関して思ったことをひとつだけ言うと、為政者でもみんな急に死ぬのね。いや為政者だからこそなのか。敢えてそういう書き方をしてるのかもしれない。とにかくいきなり死ぬ。ポンペイウスクラウディウス帝、カラカラ帝とかも「あっ」って急に退場するのよ。

 カエサルも例外じゃないけれど、「あっ、その日だ」と感づかせたところから少しずつ"その時"が近づいてきて、最期はただ静かに書かれていたのが印象的だった。そこだけ作家の私情が挟まれてないような印象を受けた。うーん、それは逆に感じた人もいるかもしれない。

 逆にグラックス兄弟の兄ティベリウスが死ぬところはすごく衝撃的で印象に残った。そんな・・・そんな終わり方があるのか・・・って。

 

 

 まあ全部読むのしんどいなーって人は、2巻「ハンニバル戦記」と、4-5巻「ユリウス・カエサル」だけ読んでみるのもいいんじゃないですかね。俺も、最初から読んでみていまいちだったらおいしそうなとこだけ読もうと思ってたし。

 なんか1巻はあんまり評判よくないみたいね。俺は好きだったけど。神と巫女の間に生まれたロムルス達が狼に育てられた、とかそのへんは神話や言い伝えみたいなノリらしくて、現代に於いてもきっちり解明されていないような、そういうふわっとした始まり方がすごくよかった。

 

 ヴェネツィア入植についての話だから別件の引用だけど、最後の15巻でこんなことが書かれていた。こういうところが好きだなぁ。

 

実際には、神は何も言わなかったであろう。しかし、伝説は、歴史を科学と考える人には取り上げる価値もないことかもしれないが、当時の民衆の心情を想像し、それをなるべく身近に感じ取りたいと願う者にとっては、簡単には無視できない史料なのである。

ローマ人の物語XV - 塩野七生

 

 

 ということで面白かった。歴史に想いを馳せるってのは格別な心地良さがあるよねぇ。勉強のつもりで読み始めたわけじゃないけれど、こういうのを「勉強になった」って言うのかもしれない。

 おかげで初代アウグストゥスから五賢帝後のコモドゥスあたりまではソラで皇帝の名前言えるようになったよ。来年まで覚えてる自信はない。

 

 読み終わったとみせかけて続編があるらしいんだよねー。まあそんなこと言ったら歴史は今日まで続いてるわけだけども。というか、もうね、図書館の棚に、明らかに続編らしき本が並んでいるのが見えてたんですよ。それも上下巻で。

 それが終わったら『ガリア戦記』と『ハドリアヌス帝の回想』だな。とりあえずそこまでは次に何を読むか心配しなくて済む。

 

ローマ人の物語 (1) ローマは一日にして成らず

ローマ人の物語 (1) ローマは一日にして成らず

 

 

 そういえばすげーどうでもいいけど、トニービンはイタリアの競走馬ですからね。古代ローマあってこそのこのブログなわけですよ。