母父トニービン

明るいところで読んでね

去年のやーつ

『2017年の印象に残ったエントリ』みたいなタイトルでそれぞれ印象的な一文を抜き出して紹介してる人がいて、あーそれいいなと思ったからパクるわ。

 

 

▼▼記憶をなくしてもう一度最初からこの物語や作品に触れたいぞ、とか思うことがけっこうよくあって、けっこうよくある(と言っても年一回~年二回くらいな気がするけど)、ということが「記憶がない状態で出会う」ということが繰り返されている証左だろ、と思ったので、幸せなことだ、と結論した。

記憶をなくしてもう一度 - 世界は称賛に値する

 

 

これが最後だ と認識できることって、あまり多くないかもしれない。

最後のひとつ - ものはためし

 

 

文章作成術を使いこなしている人は馬の調教師みたいに文章を上手に繰っているのかもなぁ、ああでもわたしは暴れ馬に乗っていたいのだよ、、と思ってしまうのは怠慢ですか甘えですか向上心がありませんか。

文章と時間と馬 - learn to forget

 

 

 不謹慎なのはわかっているけれど、「お見事でした」と思いながら泣きました。

小林麻央さんの訃報を聞いて - いつか電池がきれるまで

 

 

そうやってほとぼりがさめたころに、らっこのこと思い出す。

らっこ - 蝶と台風

 

 

 どこかで思考を書き留めておかなければ、私が霧散してしまいそうで、だからこうして書いている。

とりとめのなさと一九八四年 - マトリョーシカ的日常

 

 

一緒に暮らそう、きっと楽しいよ!とサーバルちゃんは言った。

外に行く、とカバンちゃんは言った。

どうしてアニメは終わるんだろう。どうして旅は終わるんだろう。

けものフレンズ10話見て胸が苦しい - はてな匿名ダイアリー

 

 

思うに考え抜いたことを書くのはクリエイティブさに欠ける。

清々しい思い出 - 意味をあたえる

 

 

へー、本の帯みたいになるのね。

ブログの観測範囲が1年前と全然広がってないことに気付いた。だいたいこんなもんなのかな。

 

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