母父トニービン

明るいところで読んでね

晩ご飯の時間には帰らないとね

一人で小室さん縛りカラオケに行った。H jungle with tとかglobeとか歌ってたらなんか涙がポロポロ出てきて、レコード大賞に選ばれて泣きながら歌う歌手みたいになったよ。

なんだろなー、引退して寂しいってのもまああるけど、何よりも楽曲の素晴らしさに感情を揺さぶられたような気がする。こんな素晴らしい音楽が溢れていた時代に俺はいたのか、ありがとう小室さん、本当に・・・みたいな。小室さんの音楽を聴いて育ってよかったと改めて思う。

H jungle with tでのダウンタウン小室哲哉の組み合わせなんて、俺の世代にとったら巨人大鵬卵焼きみたいなもんだぞ。

いや待てよ。ていうかあれだわ。そういえば最初は小室哲哉よりも浅倉大介だったわ俺。accessが好きだった。

あの人たちはどの曲が代表曲になるんだろうな。『夢を見たいから』『MISTY HEARTBREAK』あたりか。俺は『DRASTIC MERMAID』が好き。調べたらセールスとしては僅差で『DRASTIC MERMAID』が一番らしい。

当時はそういうの感じてなかったけど、大人になっていろいろ見返してみるとBL要素があからさまに強い。親もあの子大丈夫かしらってちょっと心配になったりしてたんじゃねえかな。こうして大人になってブログでかばんちゃんの話とかしてるのとどっちが心配になるだろう。

 

 

文章をスマホやパソコンで書いてると手書きでは書けっこない漢字でもどんどん使えて、自分の中にあるもの以上の文章になったりしてるよなー。手の届く範囲を超えてるというか。

学生の頃は書けない漢字を辞書開いて書き写して、また次に同じ漢字を書こうとする時には頑張って思い出しながら書いたりした。間違えて覚えた漢字をそのまま次も間違えて書いたりもした。

そういう風に自分の中に収めたものを掘り起こすような感じは薄くて、「齟齬」とか何も悩むことなく一瞬で書けちゃうんだぜ。困っちゃうよ。関係ないけど最近「間」とかの門構えを簡略化して書くやつをしばらく見てない気がする。

もうこれサイボーグに片足突っ込み始めてるよ。おれはいつからかマッドサイエンティストによって文章を書かされてるのかもしれない。こうして書いている時に文字数が表示されるというのもよく考えたらすごい話だ。この機能が便利なのかさっぱりわからない。

 

 ネットユーザーの視点で捉えなおすと、インターネットはそうしたサービス提供者のコントロールを免れにくくなったわけで、これは手放しで喜べるものではありません。昨今のインターネットはパーソナライゼーション機能をはじめ、ユーザーのモチベーションを効率的に誘導し、あれこれ欲しがらせる仕組みに事欠きません。簡単にできること・無料でできること・手近に触れられるものの裏側には、サービス提供者の作為が透けてみえます。

 

 その際、「何かを買わされる」可能性だけを問題視にするべき時期はとっくに過ぎていて、「何かを書かされる」「コミュニケーションをさせられる」といった、行為の次元にも注意を払っておくべきでしょう。少なくとも、今日のブログサービスやSNSサービスにそうした意図が含まれているのは明白です。何も考えず、何も節制せずにネットサービスを利用する人は、そうしたネットサービス設計者の意図にたやすく呑まれてしまいます。

 

 だからといって、私はネットサービスを利用するなと言いたいわけではありません。便利なサービスが存在する以上、使うべき時には使えばいいと思います。ただ、ネットサービスの背後には常に欲求をマニピュレートする意図が見え隠れしていて、ともすれば欲求を焚き付けられ、行動をハックされているかもしれない点は、折に触れて振り返ったほうが良いと思うのです。

 

「書かされている」人々 - シロクマの屑籠

 

ちょっと書いてひと段落した時にふと見ると850文字くらいだったりして、誰かに「1000文字くらいは書こうよ」って言われてるような気になるのはそういうことなのかな。

なんか話が飛躍してきてるのは感じるけど、どっちかっていうと飛躍しない話のほうがアレだろ。アレ。あのー、便利な時代なので「こちら」から自分で好きなの選んでください。

散歩とかしてても、あの通りに出るにはどこで曲がるんだっけってなる瞬間が一番楽しいじゃん。フランケンシュタイン博士に歩かされるのもいけど晩ご飯の時間には帰らないとね。