母父トニービン

明るいところで読んでね

オモイデインマイヘッド

脳がどうしたとか書いてたから図書館で『アルジャーノンに花束を』借りて読み始めちゃったよ。止まんねえなこれ。2週間ゆっくり読もうと思ってたのに1日で半分まできてしまった。

そーいえば小学生の頃によく遊んだやつの家に知的障害と思しき人がいたなぁ。顔を合わせることはそんなになかったけど会えばこんちわーって挨拶してたと思う。友達はおじさんって呼んでたから両親どっちかの兄弟なんだろうか。家におじさんの部屋があったのは覚えてる。

子供心にそんなに詳しく尋ねるようなことでもないと思ってたし他に楽しいこといっぱいあったからおじさんについてこっちから何か聞いたりはしなかった。でも友達の家庭内でもなんというか普通な感じの空気だったような気がする。まあ如何せん何も訊かなかったので今書いた以上のことはなんにも知らない。たぶんその友達が小さい頃からずっと身近なものとしてたから普通な感じでいて、その影響で俺もそんなに特別視しなかったのかもしれない。

そういえばあいつのお母さん優しかったな。ヤクルトのおばさんやってて、遊びに行くと「一日一本、はい飲んで」と言いながらヤクルトとかジョアとかくれた。台所に箱でたくさんあったから自爆営業ってやつだったのかもしれないね。あと俺ジョアはべつに好きじゃなかった。遊びに行って雨降っちゃった日かなんかに一度だけお父さんに車で家まで送ってもらったらスピードメーターがデジタル数字で表示されててちょっとうらやましかった。

当時は本当に無邪気に全開でそいつと遊んでいたので、数年後に中学校に上がってからはそんな小学生時代の自分を思い起こすのさえ気恥ずかしくて、10歳の頃の俺を知ってるあいつとは全く喋らなくなったなー。同じクラスになることもなかったし、なんというか今で言うスクールカースト的なものでいえばあっちのほうが少し上だったのかなー、劣等感じゃないけどそれで余計に恥ずかしくて声とか掛けられるわけがなかった。

一回だけ体育絡みの授業かなんかで一緒のチームみたいなのになって、向こうからしたら俺以外は知らないメンバーだったから俺に声を掛けてきて、それも笑顔だったので一瞬ちょっと嬉しかったような記憶もあるけど俺はめちゃくちゃ動揺しちゃって、それで思春期に華麗な対応ができるわけもなく「お、おう」みたいなよくわかんない反応を返したのがあいつとの最後の会話になった。もし今再会したらあん時さぁーっつってその話をするだろうけど、それ以降は話が続くのだろうか。やっぱりおじさんの話はしないと思う。

あいつん家って今考えると庭にいろんな木があったりしてけっこう立派な家なんだよな。ちょっと高いとこにあるし。そうそう桜の木もあってさあ、どういう流れかわからんけど花びらが6枚ある花を探し出して、辞書で挟んで押し花にして二人で担任の先生にあげたことあったわ。先生けっこうおばあちゃんだったんだけどありがとう本の栞にするよって言ってた気がする。ここにきてこんなに綺麗な思い出でてきちゃってどうやってオチつければいいんですかね。

えーと大人になってからもたまーにそいつの家の前を通ることがあって、小学生と中学生の頃の両方を思い出してちょっと切なくなりかけるのよ。すると次にそのはす向かいにある小さなコインランドリーが目に入って、昔そこの丸椅子に座ってキュンキュンしながらページをめくった『BOYS BE...』を思い出してそっちのほうがなんか思い出深い。中に置いてある少年マガジンのあの漫画読むために用事もないのにコインランドリー入ってたもんな。ほんの数回だけどやけに思い出に残っている。