母父トニービン

明るいところで読んでね

みーんみんみんみんみん

バス停にいたら知らないじいさんが話しかけてきて、喋ってたらだんだんじいさんの若い頃の話を聞かされる感じになっていって、50年前くらい前のを独り善がりに話されてなかなか面白かった。世の中が成長してる時代だもんな。俺があのくらいの年齢まで生きて50年前の話とかしても明るくなんないだろうなー。それとも「まあ大変だったけど、なんだかんだ楽しかった」と思い返すのだろうか。じいさんもやけに流暢な語り口だったからその話するのに慣れてんだろうな。今「流暢な」に続く予測変換で「関西弁」って出てきたんだけど流暢な関西弁ってどんな文脈で使うんだよ。

年寄りは話の流れが見えないから面白いよね。前にちょっと知り合いのばあさんが話しかけてきて、「あたしね、子供の頃は海のほうに住んでたのよ。昔はねぇ、遊ぶところもなーんにもないから、夏休みは毎日のように友達と海に行くのね。それでね、泳いでたら木が流れてきたの。大ーきな丸太んぼがね、流れてきてね、近づいたらそれがね、死体だったの」って終わるの。まじおもしれー。よくそこで話終われんな。オチてんのかよそれ。なんの思い出だよ。

 

 

なんかあれだよなー、もし俺のはてなアカウントにフォロワーみたいのが500人とか1000人とかついてたら俺もブックマークコメントみたいのやってんだろうな。ウケ狙ってそれをやりたいと思うかやりたくないと思うかとかじゃなくて、たぶん自然とそうなるんだと思う。

返ってくる反応の数がモチベーションになって、嫌いなものには断固とした発言をしたり、そこに批判が来て軽いバトルしたり、たまにいいこと言ったり、好きな作品を紹介したりすんの。すげー楽しそうじゃん。楽しいばかりが人生じゃない!

ある時に自分で自分のブログの読者になれることを知って、うひょー俺のブログ読者の記念すべき100人目は絶対自分のアカウントでキリ番ゲットしちゃおーと思ってもう何年経ったかねえ。おかげさまで今日も平穏ですよ。まだまだセミも鳴いてる。