母父トニービン

明るいところで読んでね

トニ父母ービン

「親戚の葬式に出たら、自分の正式な苗字が今まで思ってたのと違ってた」みたいな話を見かけて、うちもそうだなーと思った。

 うちは発音する時に濁る/濁らないがあるタイプのやつなのよ。そんでそれが親父の兄弟の中でも割れてんの。

 

 親父の一番上の兄貴は頑なに濁らない人で、病院とかの受付で濁って呼ばれると怒り出すらしい。

 次の兄貴は役所に書類を取りに行った時に、窓口で苗字のここは濁るんですかってきかれて、うん、どっちでもいいんだ、って答えるくらい興味ないらしい。それじゃあ困るんですって言われちったよ、役所はいちいち細けぇからな、って言ってた。

 そんで三男のうちの親父はというと、口頭では基本的に濁らないのに書類を書く時は濁ってるんですよ。どうすんのこれ。三匹の子豚だったらもう上から順番に全員食べられてますからね。

 そんで俺は完全に濁ってるほうで育ったけど、その話聞いたらアイデンティティが崩れてまた身軽になった。さすが俺の親戚だわ。しばし感慨にふける。もうどうでもいいから間をとってこれからは半濁点で暮らすよ。改めましてこんばんみ、ぱじさいぷぴおです。

 そーいえば多崎つくる読んだ時になんとなく「たさき」だと思って読んでたら読み終わってから「たざき」だって知って、やれやれ、ってなったな。結局まだ多崎つくるしか読んでないなむらかみはるき/むらがみはるき。

 

 そろそろ名前変えようかな。って年に何回も思ってるけど、変えるタイミング逃した感じもある。そう思うってことは幾らかでも認知されたと自分で思ってるってことだ。いや名前変えるのに丁度良いタイミングなんてねえよ。なに認知されてんだよ。

 まあ初対面の人に向かって「あ、どうもー、あじさいすきおですぅ」なんて口にしちゃったらもう逃れられないか。2回くらい言ったことあるけど言う時にどうしても声が小っちゃくなるんだよねあれ。あじさいすきおあるある。

 でもこうしてブログが続いてきたことによってインターネット上で何者かになったという感覚はあるよなぁ正直。ゼロではない。深い時間帯の三流芸人のラジオのハガキ職人くらいにはなってるかもしれん。

 始めた時に何者かになりたかったのかどうかは全く覚えてないなぁ。ただネタをハガキに書いて切手貼って送ってただけだ。最近は送ってもラジオ聴いてないまであるかもしれない。ずっと頭の中のゴミをインターネットに捨て続けてるだけだとしても、しょっちゅうゴミ捨ててたらそりゃ近所に顔も覚えられるか。