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母父トニービン

明るいところで読んでね

思ったこと

 

孫悟飯はピッコロの弟子だ。今ではそんなことはひとつの常識として広く知れ渡っている。しかし当時は全くそんなことはなかった。ラディッツと共に悟空を殺すことをメリットとしていたあのマジュニアが悟飯をかばうなんて。「お前らの甘さがうつっちまった・・・でも俺とまともに話をしてくれたのはお前だけだった」これは後のベジータにさえ言えない台詞だ。そして孫悟飯はピッコロの弟子だということは物語の基礎知識となり設定となり常識となった。そしていつしか慣れるんだ当たり前のもんとして受け入れるんだ。

 

アナウンサーが胴上げの回数をカウントするのがすごくどうでもいい。5回宙に舞うのと6回宙に舞うのと何がそんなに違うのだろうかと思ってしまう。その時に他に特別喋ることがないのだろうか。それとも目の前の状況を伝えてしまうのが実況アナウンサーの習性なのだろうか。本当にどうでもいい。しかしあれは必要だ。どうでもいいものが必ずしもイコール不要なものになるわけではない。「宝くじどうでした?当たりましたか?」「当たったよ」「えっいくらくらいですか?」「300円」という会話は内容こそどうでもいいが世の中には必要なものだと思っている。

 

昔スポーツうるぐす秋華賞の週に江川がヒシピナクルを買っていたことを妙に覚えている。15年も前のことなのに意味もなく覚えているのだからもう一生覚えているのかもしれない。こんな毒にも薬にもならないことは早く忘れてもっと意義のあることに脳の容量を割きたいと思うのだが人間の脳と言うのはそこまで合理的には出来ていないらしい。少なくとも私が日々付き合っているこれはデータの紐付けを間違えたらしく現役時代を知らない私には"怪物"江川といえばオールスターの8者連続奪三振でもなく空白の1日でもなく3着に負けたヒシピナクルなのだ。近鉄の大石の現役時代は記憶にある。下の名前は大二郎。右投右打の二塁手。3割打てそうで打てないが足は早い。

 

ルミネのCMが話題になっているらしいと昨晩知って動画を見た。CMにはストーリーや主人公を引き立たせるために過剰に嫌な奴が出てくることはよくある。しかしあの男のいけ好かなさはリアル過ぎる。何より朝からあの入れ物でコーヒーを飲みながら出社するいけ好かなさが現実的過ぎて全く笑えない。八嶋智人に頼めばもっと面白おかしくやってくれるはずだ。また主人公の女性のリアクションもリアル過ぎる。変な表現かもしれないが過剰にリアルなのだ。10年前の深津絵里にあの主人公を演じさせたら過度に落ち込むか強情に突っぱねるかのちょうど良い返しをするのではないか。深津絵里堤真一の「恋ノチカラ」というドラマを思い出した。あのCMに近いものがあったと思う。一昔前の時代ならばその日の夜にバッティングセンターで「バカヤロー」と言いながらバットを振らせるシーンを入れればよかったのだが今ではそうもいかない。テレビ業界もいよいよ大変な時代だ。

 

帰りがけに駅のコンビニで初めてセルフレジを利用したがあれはだめだ。支払いがSuicaなのでお金を払った気にならない。電子マネーが悪いというのではない。払ったお金を受け取ってもらった気になれないというほうが正確かもしれない。店員から手渡しで商品を受け取るなど一度相手側を介さないと薄い後ろめたさのようなものを感じてしまってしばらくそれが拭い去れないまま過ごすことになる。現金だろうが電子マネーだろうが購入する側のこちらが商品の対価を支払ったということを販売する側の店員が確認したうえで商品の引き渡しを行う仕組みが必要だ。あんな画面表示と効果音では到底お金を払った気になれない。