「コーヒー」って聴いて奥田民生の曲を思い浮かべる人はまずいないでしょうね。
昔からあの曲好きなんだ。どれくらい好きなのかというと、奥田民生の曲では4〜5番手くらいかね。要はまあまあ好き。まあまあ、いや、なかなか好き。けっこう好き。割りに好き。意外と好き。そこそこ好き。まぁ・・・まぁ、好きかな。べっべつに好きなんかじゃないんだからね。何の曲聴いてるの?へぇ~CD貸してよ。孤独の服で着飾った、君の手を強く掴んで。愛と知っていたのに。ブライト!アムロが、新米のよくかかる病気にかかって・・・。カガリ!ルージュ貸して!これは最後の愛のムチ!これは最後の愛のムチ!土曜日の新聞やないかい!
飽きたんでこの全体の平均くらいの好きさだと思ってください。
そういえば煙草を止めて1年半、コーヒーを飲む頻度がかなり減った気がする。 もうかなりお茶派になったね。
じゃあ何でこんな曲の話をするかといえば、知らない。いかなる不都合が生じようとも一切の責任を負いません。
俺がこの曲を面白いと思うのは、雨の日について歌っているのにほんとに雨が降ってる日にはぜんぜん聴きたくならないってところ。実際の雨の日はもっと雨の日のテンションだから、もう少ししっとりした曲を聴きたくなる。というか雨の日はあんまり音楽聴かないかも。
むしろ晴れてる日とかに聴いて「あー雨なんだなぁ」と雨の日っぽいテンションを身にまとって聴くのが心地良いという、謎の曲なんだよね。
あと曲の構成がけっこういいんじゃないかなぁ。2番終わってギターソロから一回落としてうおーってなるところで吹いてくる、ものすごく湿気を含んでいる風が好き。
まぁ雨の日っていうと気だるい閉塞感っていう印象なんだけど、この曲は気だるい開放感で溢れている。気だるいっていってもアンニュイ感は全くないよ。そこは調子に乗らないでほしい。遠足は履き慣れた靴で行け、しおりにもそう書いてあるはずだ。
まぁ雨が続いてるってことで季節は梅雨でしょうよ。この曲聴かせるとA4のコピー用紙がしなっしなになるんじゃねえかって思うくらい梅雨。もうほんと梅雨。もしくは五月雨。これだけ梅雨梅雨言っといてさらっと「もしくは」って入れるのはなんなの。いや梅雨ってどんなんだっけな、と思ったらなんか自信なくなったの。
っていうか発売されたのってちょうど今くらいの時季じゃなかったっけ、と思って発売日を調べたら1995年5月21日だった。はい天才。まもなく20周年というこのタイミングの良さ、普通にびっくりした。あれから20年、みなさんどうですか(えっどういう流れにもっていこうとしてるの)。
当時困難に立ち向かいひたすら遊んでいた子供らも、もう困難には立ち向かわないイメージがついてしまっている世代の大人です。こいつはまさに大迷惑ですよ。もう30だからということでさすがに、と言っていた奥田民生ももう50歳です。僕たちは踊るだけ、いい気なもんですよ。昨日の広島カープの中継にゲストで来てて、この間50歳のバースデーライブやったけどソロで出たりユニコーンで出たり大変だったからもう二度とやるもんか(笑)みたいなこと言ってた。休みが必要だ、テレビでそう言ってた。
そんで歌詞の話なんだけど、「そう言ってる」「そう言ったろ」「たぶんそうだろうと言っている」とさんざん人の意見を重ねて、さらに空模様も「これでもかとまだまだ」という意思表示をしてる。
それに対して主人公はあんまり意思表示みたいなもんがない。このへんは何とでも解釈できるのかもしれないけど。
そんで最後に「明日晴れたら釣りだ」ですよ。なんか気が抜けているようでいて、かつ前を向いているような、これぞ奥田民生というような、この感じがいい。
そう、この感じがいい、ってだけ。それが言いたかった。