母父トニービン

明るいところで読んでね

自分の好きな映画に、自分の人生を肯定してもらったような気がした

 
 金曜ロードショーで『魔女の宅急便』をやっていたので久々に見た。ちゃんとパソコンをシャットダウンして、スマホも充電切れていたのでそのまま放置して見た。それがちゃんとなのかはよくわからないが、そうして見るのが一番良いと感じた。
 おいなんだこれ。こんなによかったかこれ。めちゃくちゃよかったぞ。いや俺は長いこと魔女の宅急便を一番好きな映画に挙げ続けてきたから、これが素晴らしい作品だというのはよーく知っている。
 この人はこの後にこういう表情でこういう台詞を言う、そういうものはもう大体頭に入っているようで、CMに行くタイミングすら体が覚えている。しかし今回はCMの回数が多かったのか「あ、そこでCM行くんだ」と何度か感じた。それくらい細かいところを網羅しているのに、知っているはずの仕草や表情のひとつひとつが、今までよりもなにか心に強く訴えかけてきた。
 例えば、キキのお父さんがキキにせがまれて"高い高い"をしようとするシーン。一度キキを軽く持ち上げようとするものの簡単には持ち上がらず、一旦少し屈み腰を入れて持ち上げる。それはつまり長いこと"高い高い"をしていない間に、キキはお父さんの予想をはるかに超えて成長していたということを表している。その仕草ひとつで「あっという間に旅立つ年頃になってしまった子供」に対してお父さんが感じる嬉しさや寂しさを、見ている側も一緒に感じられるようになっている。そして改めて「いつの間にこんなに大きくなって・・・」と感傷的に言う。
 そういうシーンがあるのはもうずうっと前から知っているが、今回が一番お父さんの気持ちを感じられた気がした。年をとったこともあるだろう。「時代は変わるけれど、私のリュウマチにはあなたの薬が一番効くのよ」とキキの母親に話すおばあさんの台詞にも心を動かされた。無駄な台詞がひとつもない。これでも最初の10分間のことすら書ききれていないので、ほんとうにきりがない。
 一度好きになった作品をまた見るというのは決まった店の好きな料理を食べることと近いようなところがあって、楽しさや感動の大きさをある程度見積もることができる。そこから大きくずれることはあまりない。
 それを超える楽しさを得ようとするならば、なにか新しい別の作品を見つけてこなければいけないのだろうとぼんやり思っていた。しかし全くそんなことはなかった。今までで一番よかった。ってことでもないけど。どないやねん。
 子供の頃に食べたガリガリ君の美味しさと、大人になって食べるガリガリ君の美味しさは比べようがない。今はどこかで「60円のアイス」と思いながら食べてるところはあるだろうし、極端な話50本くらい買ってきて冷凍庫に突っ込んでおくこともその気になれば簡単にできる。子供の頃は目の前のひとつが溶けないうちにと脇目も振らず夢中で食べていた。子供の頃はあのウルスラの描いた、森の小屋の絵に目を奪われた。そのシーンを映すテレビは当時と比べて倍以上の大きさになったが、今はテレビの物理的な枠が見えている。
 
 当然のことながら作品のほうは一切変わっていないので、好きな映画がもっと好きになれたのはこちらが変わったからだろう。今まで生きててよかった。
 自分の好きな映画に、自分の人生を肯定してもらったような気がした。
 
 来週リンダリンダリンダやんねーかな。