母父トニービン

明るいところで読んでね

ニンテンドーラボの初公開映像に夢を見た

ニンテンドーラボの動画がすごい。

 

www.youtube.com

 

 

こんなオシャレな雰囲気じゃなくて、もっと子供が欲しがる楽しそうなCMにすればいいのに、と最初は思った。

自分が子供の頃だって、バトルドームだとか、ドラゴンボール目薬だとか、テレビCMが印象的なものは大抵欲しがったもんだ。

 

・・・段ボールか。耐久性は?

置き場所にも困りそうだな、これ。

 

 

動画を眺めながら、途中で考えが変わった。

これは、俺達世代に向けた広告だ。

 

 

親には「いつまでゲームやってんだ」

親戚のおじさんには「まーたピコピコやってんのかよ」

テレビには「テレビゲームが子供をダメにする」

 

と言われ続けた、俺達世代に向けた広告だ。

 

子供の頃はコントローラーを握り、座って、猫背のまま、画面にひたすら目を凝らしていた。

これは、間違いなくその延長線上にある。

 

 

・・・こんなのが、やりたかったなぁ。

・・・俺だったら緑色に塗ったろうなぁ。

 

 

同世代で子供がいる人は、きっとこれを自分の子に与えたくなるだろう。

組み立てる姿を、プレイする姿を見たくなるだろう。

段ボールのピアノに音が宿る感動を、見守りたいと思うだろう。

 

 

何かそういう、「衝動のようなもの」を久し振りに感じた。

 

 

いや買わねえけど。スイッチ持ってねえし。

)(

君の名は見た(俺は男だから瀧くんが主人公に見えてるけど女の人には三葉が主人公に見えるのかな)(思い立った三葉が東京に行って、ホームに入ってきた電車(音がガタンゴトンじゃなくてスワァーンって感じなのが東京だった)に瀧くんを見つけて飛び乗って、目の前でドキドキしてるのに瀧くんが単語カードめくってるシーンが好き)(やっぱりちょっとRADWIMPSが強すぎるよな(そう言うと映画とバンドどっちのファンも怒りそう(「そういう映画なんだよ!」って言われたらそういう映画なんだなーと思うしかない)))

 

唐突に(唐突ってこんな漢字だったかなという違和感がある)「ムーミンの舞台はフィンランドなんですよ」とか言われても困るよね(「松雪泰子の出身は佐賀県なんです」とか「アロゲートはアメリカの競走馬なんです」っていきなり言われても困るでしょ)(ついこの間まで10年近くスナフキンのカレー皿を使ってたけど割れてしまった(お気に入りだったのに ( ゚Д゚)))

 

魔女の宅急便(キキと(俺が見てた)ムーミンの声が同じ)の街並みも北欧らしいね(いちおう録画したけど見てない(大好きな映画だからって必ず見るとは限らない))(トンボと自転車二人乗りして転んだ後にめっちゃ笑うのがなんなのかいまだに意味わからん(グーチョキパン店の部屋借りた翌朝にトイレ行こうとしたらおやっさんが通りかかってなんか隠れちゃうのはめっちゃわかる(初めて観た時(小学生くらい?)にあれで身近に感じた記憶がある(記憶は当てにならない))))

 

このブログってどういう感じで(どういうテンションで)書き始めたんだったっけなーと思い起こして懐かしんだ(初心に戻るつもりは特にない(あれが初心とも思わない))

 

そろそろ関東人が恵方巻の悪口を言う季節に入った(「こっちに出てきたのってこの何年かでしょ」「コンビニもノルマとかあって売らなきゃいけないらしいから大変だよね(どうせ売れないのに、というニュアンスが強め)」とか)

 

最近どこでも(スーパー銭湯のサウナとか病院とか)テレビあるよな(ぼんやりできる(暇になれる)場所が少ない(そりゃ引きこもりも増えるでしょうよ))

 

自分の関わったポスターに落書きされるのすごくつらいらしい(高校の頃に自分達でカラーコピーして校内に貼ったポスターに自分で落書きしたことある(翌日あたりに友達が「落書きされてた・・・(>_<)」ってへこんでた(俺が書いたと伝えた時のリアクションがどうだったかは覚えてない)))

 

歴史の本飽きたから小説読んでる(外国の本読んでると、恐れていた展開になってしまった時に頭の中でのリアクションが「oh・・・」ってなってうける)

 

今週のお題は体調管理だって(体の調子さえも管理下におこうとする人間の浅ましさよ)

 

漫画喫茶みたいなとこでダーツ(ちょっとずつ上手くなってる(上手いってことは安定することだと実感してる(アベレージは嘘つかない、みたいな感じ)))やってる人みんな線から足がはみ出してる(さすがに注意なんかできない(しかし気になりだすと止まらない))

 

 

 

 

 

 

 

 

|ω・)

 

去年のやーつ

『2017年の印象に残ったエントリ』みたいなタイトルでそれぞれ印象的な一文を抜き出して紹介してる人がいて、あーそれいいなと思ったからパクるわ。

 

 

▼▼記憶をなくしてもう一度最初からこの物語や作品に触れたいぞ、とか思うことがけっこうよくあって、けっこうよくある(と言っても年一回~年二回くらいな気がするけど)、ということが「記憶がない状態で出会う」ということが繰り返されている証左だろ、と思ったので、幸せなことだ、と結論した。

記憶をなくしてもう一度 - 世界は称賛に値する

 

 

これが最後だ と認識できることって、あまり多くないかもしれない。

最後のひとつ - ものはためし

 

 

文章作成術を使いこなしている人は馬の調教師みたいに文章を上手に繰っているのかもなぁ、ああでもわたしは暴れ馬に乗っていたいのだよ、、と思ってしまうのは怠慢ですか甘えですか向上心がありませんか。

文章と時間と馬 - learn to forget

 

 

 不謹慎なのはわかっているけれど、「お見事でした」と思いながら泣きました。

小林麻央さんの訃報を聞いて - いつか電池がきれるまで

 

 

そうやってほとぼりがさめたころに、らっこのこと思い出す。

らっこ - 蝶と台風

 

 

 どこかで思考を書き留めておかなければ、私が霧散してしまいそうで、だからこうして書いている。

とりとめのなさと一九八四年 - マトリョーシカ的日常

 

 

一緒に暮らそう、きっと楽しいよ!とサーバルちゃんは言った。

外に行く、とカバンちゃんは言った。

どうしてアニメは終わるんだろう。どうして旅は終わるんだろう。

けものフレンズ10話見て胸が苦しい - はてな匿名ダイアリー

 

 

思うに考え抜いたことを書くのはクリエイティブさに欠ける。

清々しい思い出 - 意味をあたえる

 

 

へー、本の帯みたいになるのね。

ブログの観測範囲が1年前と全然広がってないことに気付いた。だいたいこんなもんなのかな。

 

←去年  

お世話様です

 昨年の暮れに「今年も1年間、このブログにお付き合い頂きありがとうございました」ってのをよく見かけた。へーやっぱりみんな読まれてありがたいんだなーと思った。俺は人に読まれてありがたいとか思ってんのかな。

 うーん、もしありがたい気持ちがあったらさすがにたまにはそれを表明したくなるんじゃないかと思うし、表明したくならないってことはありがたい嬉しいみたいなのはないのかなぁ。いやないこたないんじゃないのかなー。よくわからん。

 でもまあやり甲斐のひとつになってる部分はある。基本的には「俺が勝手に書いたものを誰かが勝手に読んでる」だと思ってるんだけど、そりゃあ何のリアクションもなく毎日が暖簾に腕押しだったらそのうちつまらなくなるだろうし、そうだったらどこかで止めてたかもしれない。それで続けるならもっと背筋を伸ばすなりして別のものになってたでしょう。そっちルートいく前にセーブしとかなかったから検証できないけどね。

 そうなるとやっぱり読んでくれてありがたいになってくるのか。読んでる人がいてこそこんな感じで書けてるってことになるもんな。うーむ。もう少し面白い着地になると思って浮いたんだけどいい風がこなかった。なんだこれ。なんとなくしりとりしてたらんが付いてて負けてたみたいな気分だわ。

 

 あーだからあれだよ。続いてきたのは読んでる人のおかげだけど、そもそも俺がブログを続けていきたいと願っているわけじゃなくて、たまたま続いてる感じだから、みんな!いつもありがとうな!ってならないのか。来週も見てくれよな!とも思わないもんね。

 あとは書き手と読み手の持ちつ持たれつみたいな、町の商店街みたいなところもあると思う。あーどうもいつもお世話になってますーっつって。ユニコーンの曲に「いつもお世話になっています私は地球ですー」って歌詞があって、その後に核兵器が出てくるんだよ。つまりこれはもう書き手と読み手のCold warですよね。

 そういうわけでたまにはブロガーのみなさんの軍事力を見せてもらいたい。たまにあるじゃん、読んだ後に、いいぞ!って言いたくなる文章。エントリ。渾身のエントリとでも言うか。3ボール2ストライクからピッチャーが外角低めにズバーンとストレート決める感じ。俺のイメージは大瀬良かなー。それだ!!って。スラムダンク安西先生の気持ちになりたいよ。

 お前のそれが見たかったんだよ俺は!お前!この野郎!待たせやがって!っていうやつ。そういう気持ちにさせられちゃうやつ。まあそういうのは読む側のその日のテンションにもかなり左右されたりするけど、食ってるうちに汗かいてきてどんどん食欲が沸いてくるピリ辛とんこつみたいなやつを半ライス付きでモリモリと頂きたい。

 

zuisho.hatenadiary.jp

重要なのは筋肉の躍動です、僕が書く筋肉を十全に発揮して書き、貴方が読む筋肉を十全に発揮して読む、そのふとした瞬間にもし目でも合おうものならお互いをお互いになんて美しいだろうと息を飲むに決まってるじゃないですか、そして人は美しいものには無条件で最大限の敬意を払うに決まってるじゃああ~りませんか

 

 

 これですね。

 っつってもまあそんなの書こうとして無理に書くものでもないし、読む側から強く求めるものでもないよなー。それこそどうもお世話様でーすのテンションだよ。まあうまく書けなくてくしゃくしゃにした原稿用紙でも、ゴミ箱に投げ続ければたまには綺麗に入るでしょ。ゴミ箱いつも綺麗に掃除しとくからみなさんもどんどん投げなさい。別に投げるの上手くならなくてもいいから。

 書いててあんまり楽しくなってこない時期ってのもあるもんなー。ん?でも書いてて楽しいってのもほとんどないかも。書いてて楽しいとかっていうよりは、公開ボタンを爽やかな気分で押せるかどうかって気がする。あれはなんだろうか。風呂上がりにいやーいい風呂だったと思えるかどうかに近いかも。前もなんか風呂に例えたことあったな。書いてさっぱりしたいね。

 

 ところで俺のブログでそういういいやつってあったのかな。最近あんまりそういうことを考えてない。どれがそういうのなんだろうか。ということで去年のベストエントリ大賞が決定いたしました。発表は……CMの後です!

ったったったったった ったったったったった

 YouTubeとかの小学生くらいのピアノ演奏動画ってけっこう侮れないよね。

 上級者の演奏動画よりも暖かみがあったりする。細かいことはよくわからんけど演奏が素直なのか、そもそも譜面がシンプルなのか、ハードル下げて見てるからなのか、なんかすごく聴きやすい。俺は優しい演奏を求めてるのかもしれない。変なテクニックみたいの入れてこないのもあるだろうなー。

 サックスの演奏動画は変なアレンジを入れてくるという偏見がある。だいたい1番を普通に演奏して2番でアレンジ入れてくるんだけど、この人うまいなーって聴いててもそこではいおつかれーって閉じちゃう。まあサックスは割とソロを演奏する楽器だから、どうしても演奏者のアピールが強くなるのかもしれないね。

 ちなみにサックスやトランペットあたりを総称してラッパって言うとめっちゃ嫌な顔されるから気をつけてね。あとヘビーメタルが好きな人の前でヘビメタって言うのもだめなんだって。デーモン閣下の前でデーモン小暮って言ってもいいのかは未確認です。

 むしろあんまり演奏うまくないほうがよかったりするのかもしれない。うまい人ってどうも曲より演奏者のほうが中心になってきちゃってて、いや別にお前の演奏が聴きたくて見てんじゃねえんだよお前誰だよってなってくるし。

 そういう点でいくとボカロってのは楽曲製作者よりも初音ミクという存在が前に出てくるのがよかったんだろうなぁ。あーあ過去形になっちゃった。

 そんな感じで宇多田ヒカル『道』の演奏動画見てたら「ボイトレ先生の歌い方講座」みたいなのまで見ちゃったよ。ここで細かく息継ぎを入れることによってグルーヴ感がどうのこうのみたいな話をしてんだけど、確かにその息継ぎによってその後のメロディが活きてきてるのがはっきりわかって宇多田ヒカルやっぱすげーなと思った。歌パートだけの音源で聴いてみたいわー。

 この前初めて一人カラオケ行って、この曲と初音ミクの『メルト』を女声にして歌ったらメロディが綺麗すぎて歌いながら泣きそうになった。宇多田ヒカルの『Passion』とかも歌ってみたらけっこうよかった。自分で歌ってみて曲の新たな良さに気付くみたいなのあるよね。歌ってみるとつまんない曲もあるけど。スーパーカーの『Strobolights』とか。あとけものフレンズの終わりの歌『ぼくのフレンド』はたぶん先に詩を書いて後からメロディをつけたんだろうなーと歌いながら思った。

 そろそろあれかな、カラオケの字幕のフォントもメイリオになってくるのかな。カーナビの表示と野球場の電光掲示板の選手名がメイリオになった時はうわー時代の流れつれぇーと思ったもんだった。

 チャンネル登録お願いします、ってやつもうちょい気の利いた言い方ないのかね。あのとりあえず言っとく感。来週も見てね!と似たようなもんか。この後は、笑う犬の生活!っつって。

 一時期SNSでよく見かけた「〇〇すると喜びます」ってやつのあのウッとなる感じ懐かしいな。イラッとするまでいかないんだよ。ウッとなる。俺もプロフィールに書いとこうかな。雨の日に外出すると靴が濡れます。とか、ご飯食べすぎると体重が増えます。とか。