母父トニービン

明るいところで読んでね

おじさいすきあ

 

 

霜降

昨日は二十四節気霜降だったらしい。寒露立冬のあいだ、もう木枯らし一号が吹く季節になったんだな。そう思うと心がしんとする。もうコート出しちゃいました、今朝寒かったもんねえ、という会話をした。

テレビの画面に映る鮮やかな紅葉は目を引きつけるが、茶褐色や紫がかったような何色とも言えない近所の寂れた木々のほうが、眺めるのには適していると思う。向こうのお屋敷の庭には、くすんだ色の柿や柑橘類の実が生っている。

最近のブログを少し読み返して、その後に冬から春先にかけての文章に目を通してみると、内容や文体の差異などから、暖かい季節はずいぶん油断をして過ごしていたんだなぁと感じた。

外で一晩過ごそうが何ともない暖かさと、屋内でも窓を開けていられなくなる寒さとでは、生理的なところから気の張り方が変わってきそうだ。生物として、食物が不足がちな寒い時期はやや警戒気味にやり過ごし、不安の少ない暖かい時期には心身共に弛緩するのかもしれない。

そういうこと考え出すあたりがもう霜降だ。何て読むんだよ霜降

 

 

~クッキーアンドクリームすきおの憂鬱~

タダで食べられるサーティーワンアイスで、またクッキーアンドクリームを頼んだ。どうせタダなのだから色々試せばいいのにと毎度頭をよぎるがそんなものは心に余裕のある人間の行動だ。クッキーアンドクリームを頼むことによって安定して得られる喜びの量が目減りする可能性に踏み出せるわけがない。タダでサーティーワンアイスが食べられると聞くだけで心に空いてしまうクッキーアンドクリームひとつぶんの穴を埋めるのに、クッキーアンドクリームをひとつ注文する以外の方法が思いつかない。

人間は、1万円もらってやったラッキーという1万円ぶんの喜びよりも、自分の財布から1万円を失う1万円ぶんの悲しみのほうが、同じ1万円ぶんでも圧倒的に大きく感じるのだという。となると、もうクッキーアンドクリームがタダで食べられると知るだけで損をしているようなものだ。金払って食うほうが全然マシだと思う。あれは300円くらいだろうか。気まぐれに誰かと寄ったりする際はそれほど値段を気にせず食べているのに、タダだからと一人で行くといろいろと考え込んでしまう。曇っているからだ。晴れてればやっぱクッキーアンドクリームうめえなーで済むのに。

 

 

~ああ、人間~

駅の構内からホームへ上がる階段の蹴り上げ面一帯に、「慌てずゆっくり上りましょう」と大きく書いてある。

しかし朝の時間帯には人の背に隠れて意味を成さず、落ち着いた時間になってから文字が現れるのを見て、ああ、人間、と思う。

 

 

~面倒な作業~

「皮ごと食べられる葡萄」といかにもそれがメリットをもたらす革新かのように言うが、葡萄は皮を剥いて食べたい。しかし皮を剥くのは面倒だ。だから自分で買って葡萄を食べることはまずない。

「皮ごと食べられる葡萄」という提案を受け入れることが、理論的には好ましい結論なのかもしれない。しかし葡萄は皮を剥いて食べたい。仮に「皮ごと食べられるバナナ」が登場したとして、洗ってそのままかぶりつくだろうか。

あれお前根っこのほうから食い始める派なんだ、そういえばうちの兄貴もそうだったわーっつって。