米津玄師の『KICK BACK』好き。
あのちゃんの『ちゅ、多様性。』もめっちゃ好き。
でも『チェンソーマン』は全く知らない。
チェンソーマンがどんな姿なのかも知らないし、チェンソーマンなのかチェーンソーマンなのかも知らない。
チェーンソーで木を伐採したことならある。
切ったら当然木は倒れるので、先に切り倒したい方向から決める。それに合わせてチェーンソーの刃を入れてくんだけど、何本やってもぜんぜん倒したい方向に倒れてくれなかった。
90年代くらいののアニメ主題歌ってアニメの内容と関係ないのが多くて、俺はそれがよかったんだけどなぁ。スラムダンクのWANDSとか、るろうに剣心のJUDY AND MARYとか、コナンのギリギリチョップとか。
もちろんドラゴンボールや聖闘士星矢みたいにわかりやすくアニソンアニソンしてるのも好きだけど(セーラームーンはどっちなんだろう)、アニメの内容ありきでJ-POPの曲を作っちゃうのってなんか好きじゃないんだよなぁ。
J-POPの楽曲はそれ単体で機能してほしい、みたいな気持ちがどこかにあるんだろう。アニメやドラマの主題歌になるのはいいけど、楽曲であることが勝ってほしいんだよね。
宇多田ヒカルなんかは完全に楽曲として独り立ちしているイメージがある。俺が宇多田ヒカルの曲を好きなだけかもしれないけど。逆に米津玄師はタイアップに合わせるのが上手という印象がある。
知らないから漫画読んじゃったよ。『チェンソーマン』だった。時間潰しに漫画喫茶に入って、ブラックジャックか火の鳥を読もうと思ったらなかったからチェンソーマンにした。5巻まで読んだら時間が来た。
やっぱり若者に人気の漫画は読んでいて疲れるね。あんまり血とか出ないでほしい。いきなり腕を切られたとかそういうテンションをいちいち受け入れるのもうしんどいっすわ。
そりゃあ肩から脇にかけて刃物で切られたら、次のシーンでもう腕と胴体がくっついてないのは当たり前なんだよ。でも実際にその姿を描かれるとなんか疲れる。
そんで戦ってて急にスプラッタになったかと思えばその後に日常のゆるゆるシーンになったりして、そのギャップにも疲れる。
もう完全に刺激に弱くなってしまった。まあ少年ジャンプだもんな。おじさんは週刊ダイヤモンドの「ダメになる日本」みたいな胡散臭ぇ記事を読んで「昔はよかった」だけ言ってりゃいいんだよ。
あとハンターハンターのオマージュみたいな悪ふざけシーンをふたつ見つけた。俺でなくても見逃さないくらいハッキリとオマージュしていた。
っていうかキャラクターのどいつがどいつかけっこうわかんなくなるんだよなぁ。それも一生懸命読んでないからなんだろうけどさ。
だってみんなスーツ着てんだもん。髪が黒いやつが喋ってると誰なのかすぐわかんなくなる。ハンターハンターみたいに一人ハゲてくれませんかね。
昔ガンダムSEEDで登場人物の髪の色が全員違うことを「アニメアニメしすぎだろ」って小馬鹿にしてたけど、やっぱりあれは必要なんだね。「まったく最近のガンダムは……」って当時言ってたけど、ファーストガンダムもみんな髪色が違ってるんだよな。
菊花賞は、ダービーで買ったハーツコンチェルトをまた買ったら6着でした。ただ自分に整合性を取るだけみたいな買い方してもそりゃダメですよね。やる気のなさと馬の負け具合が丁度良い塩梅だわ。
ダービーの時に「菊花賞までは追っかけてもいいかなぁ」と思ったような気もする。でも皐月賞と菊花賞はハーツクライはダメなんだよなぁ。親父そっくりかよ。じゃあ来年の宝塚記念か?いや目黒記念5着とかで諦めそうな気がする。
なんか「素質ありそうだけど不器用でうまくいってない(ように見える)馬」って応援したくなっちゃうんだよなぁ。勝手に自分を重ねて気持ち良くなってるのかもしれない。いや俺がダービーで3着に突っ込んでこられるわけないだろ!
まあ自分の狙いがどうとかより、軽視していたドゥレッツァとタスティエーラで決まったからどうしようもなかった。なんなんだよ。何語と何語の馬名なんだよ。まあ一番軽視していたのはトップナイフだけども。
なんかあれだな最近文章が書けるな。箇条書きばっかりになる時もあるのに。
「箇条書き」という方法が意識に入ると、逆に文章にする時は「より文章らしく書こう」という気持ちが生まれるのかもしれない。
いやそんなことねえわ。なんだろう、「独り言の言い方」について考えるやつなんか歴史上1人もいねえんだから、「ブログの書き方」とかべつに考える意味がねえっつうんだよ。ぼっち・ざ・ぶろぐ!