ここんとこ多発してるというロシア料理店への嫌がらせに倣って、YouTuberのテトリス生配信でも荒らそうかな
YouTubeで「5分でわかるサクラバクシンオー」というタイトルのウマ娘ファン向けであろう動画を見かけて、いや1分と7秒コンマ1でわかるのになにをわざわざ回りくどいことやってんだと思った
しかしまあ、ウマ娘を見かける度に「こんな語り継がれ方があるんだなぁ」と不思議に思う
他の国に生まれてたらこんなことは絶対なかったよな
テレビ界隈がいわゆるルッキズムに関して厳しくなってきていると聞くのでクレヨンしんちゃんの組長先生に出番があるのか心配してる
ツイッターで見かけた「退院祝いにキーホルダーもらいました!」ってのの画像がウマ娘のサイレンススズカとライスシャワーだったので、ツイート主の無事を遠くからそっと祈った
新聞の最後のほうとかヤフーニュース芸能タブのとことかにある、芸能人の半生を振り返って無理矢理ポジティブにまとめるやつ、あんなんを書くライターにかかれば俺の人生でも「挫折を乗り越えて違う景色が見えたことで毎日が素敵な生活に変化した」とかできそう
若い頃はデアゴスティーニ商法をバカにしてたけど、毎週楽しみが家に届くと考えると決して高くはないと思うようになってきた
『哀・戦士』を「アニソン」というやつは世の中を何もわかっていない
いや、何もわかっていないのは俺かもしれない
『様々な感情が交錯する、感動のストーリー!』とか『臨場感のある熱いバトルシステム!』とか、最初から俺はRPGゲームにそんな要素を求めていなかったんだ、ということをオクトパストラベラーは気づかせてくれた
考えてみれば子供の頃にRPGゲームの何を楽しんでいたかって、「プレイ感の良さ」と「ゲーム内の雰囲気」がほとんどなんだよな
ドラクエ3は序盤に塔のダンジョンの最上階にいる老人に話しかけると「盗賊の鍵」が手に入るんだけど、老人がなぜ塔の最上階で暮らしているのか、なんで鍵を渡されたのか、鍵のどのへんに盗賊要素があるのか、これらのどこかにストーリーの伏線があるのか、そんなことは当時全く考えなかった、ゲームはそういうものだと思っていた
ニーアオートマタという、ストーリーを追って進むゲームなのに途中から伏線全部ぶん投げて製作者のやりたいことをぶち込んだせいで何もかもが完全に破綻したクソゲーも、前半のプレイ感、雰囲気、BGMは非常に心地良かったことを思い出す
最後あんなに嫌な気持ちになったのにまたやりたいとちょっと思ってるから困る
ストーリーよりも製作者のやりたいことが先に存在するんだからうまくそこへ向かってゆく話の内容に組み立てればいいのに、大きなプロジェクトとして人が大勢関わったせいでちぐはぐになっていったのだろうか
しかしまあよくひとつの作品内であんなに物事を破綻させることができたものだと感じるので、ある種「故事のようなもの」と捉えて学びを得る経験としたい
フジキセキの弥生賞見たら外から伸びたホッカイルソーに完全に差し切られる流れから逆に2馬身突き放してて、なんだこいつ、シンボリルドルフかよ……と思った